18枚の民族写真に見る失われた多様性 ~ 希望と嘆きの島 「エリス島」に入国した移民たちのフォトドキュメント
■ビッグアップルのルーツ
以下の写真群は、1892年から1925年までエリス島で登記の責任者として働いていたアマチュアカメラマンの、オーガスタス・シャーマンによって撮影されたものだ。 移民の島として知られるエリス島であるが、1954年の閉鎖までおよそ1700万人のヨーロッパ移民がここを通過したという。現在のアメリカの40%にあたる人の祖先が希望を求めここから入国したのだ。まさにビッグアップルが形成されるルーツがここにあるといえよう。
ドイツからの密航者。画像は「Washington Post」より
アラビアの軍人。画像は「Washington Post」より
アルジェリアの男性。画像は「Washington Post」より
ギリシャからの軍人。画像は「Washington Post」より
グアドループ島から来た女性。画像は「Washington Post」より
ヒンドゥー教の少年。画像は「Washington Post」より
イタリア人女性。画像は「Washington Post」より
イタリア人女性。画像は「Washington Post」より
ノルウェー人女性。画像は「Washington Post」より
ロシア人男性たち。画像は「Washington Post」より
ノルウェー人女性。画像は「Washington Post」より
3人のオランダ人女性。画像は「Washington Post」より
グアドループ島から来た女性たち。画像は「Washington Post」より
ババロア人男性。画像は「Washington Post」より
ラップランドからの少女。画像は「Washington Post」より
ロシア帝国から来た男。画像は「Washington Post」より
デンマーク人男性。画像は「Washington Post」より
オランダ人の子供たち。画像は「Washington Post」より■アメリカ人のコメント
・1900年代に移民政策があったことは知っていたけど、詳しいことは全然知らなかった。彼らが自分のルーツなんだね。
・82歳になりますが、私の父もバイエルンからエリス島を介して入国しました。父は結核を患っていて拘留を余儀なくされました。1900年代初頭にエリス島に到着した人たちの中には多くは熟練した靴職人などがいましたが、英語が話せなく、アメリカ人に憧れて必死に勉強したそうです。米国市民の安全を第一に考えていた政府ですが、時に不公平な悲劇もあったこと父は述べておりました。
・素晴らしいフォトドキュメント。写真を見て多様性が失われていったということを感じ悲しく思います。
・アメリカ文化がいかに様々な文化の結集なのか実によく分かる。
・当時の世界の多様性を示す素晴らしい写真だ。私たちは今平均化されてしまったのだとつくづく思う。民族衣装の存続に努力していたブータンの旅行のことを思い出すな。都市部は完全に欧米化していたけど。時代は変わるんだな。
たった一世紀前自由を求めて、または迫害や貧困から逃れてアメリカに来た移民たち。いわばアメリカンドリームを夢見てエリス島に降り立った人もいたであろう。これらの写真を見ると、人種のるつぼといわれ様々な文化のもとに形成されていったアメリカという一つの文化圏の深さをうかがい知ることができるのではなかろうか。
(アナザー茂)
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2024.10.02 20:00心霊18枚の民族写真に見る失われた多様性 ~ 希望と嘆きの島 「エリス島」に入国した移民たちのフォトドキュメントのページです。アナザー茂などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで


