ブルックリンの吸血魔 ― 4歳少年をも食した世にも恐ろしい連続殺人鬼アルバート!
※本記事は2017年の記事の再掲です。また、この記事には残酷な表現が多数掲載されています。苦手な方はTOPにお戻りください
普通の人間には到底理解できない思考を持つ連続殺人鬼を多数生んできたアメリカ。しかし、殺害、強姦、拷問だけでなく、被害者の人肉を食べたり、食糞や飲尿、さらには己の体を痛めることで性的快感を得ていた、サイコパス中のサイコパスと呼ばれる連続殺人鬼は非常に稀だ。
1920年代にニューヨークを震撼させたアルバート・フィッシュは、まさにそんな連続殺人鬼だった。おまけに、事件から6年後、「まだ娘は生きているのではないか」と信じ続ける被害者の母親に対し、「娘をどうやって殺して、遺体を食べたか」を得意げに図入りで説明した手紙をも送りつけた、冷酷かつ異常な神経の持ち主だったのである。
“ブギーマン”“ブルックリンの吸血鬼”“満月の狂人”といわれ、全米を震え上がらせた初老の男、アルバート・フィッシュ。彼は一体、どんな幼少時代を送り、連続殺人鬼になっていったのだろうか――。
■幼少期:孤児院での虐待が快感に
アルバートは1870年5月19日、ワシントンD.C.で4人兄弟の末っ子として誕生。父親は、母親よりも43歳年上の75歳だった。ポトマック川を運行する船の船長だった父親は、宗教狂だったと伝えられており、80歳で心臓発作を起こし、死亡。 4人の子どもを抱えシングルマザーとして生活することは困難だと感じた母親は、幼かったアルバートを同州のセントジョン孤児院に預け職を探した。
孤児院の男子寮では、職員たちによる躾と称された虐待が日常的に行われていた。聞き分けのない子どもを裸にして、ほかの子どもたちの見ている前で、尻を激しく叩くという罰を与えていのだ。
これを見たアルバートはしびれるような感覚に陥り、幼いながらもカチンカチンに勃起。自分が叩かれた時には恍惚とした快感を覚え、罰を受けるのを心待ちするようにもなった。ほかの子供たちはそんな彼を気味悪がり、いじめた。何歳になってもおねしょをした彼は格好のいじめの標的となり、アルバートは孤児院から何度も脱走。その度に連れ戻されては尻を叩かれ、マゾヒズムを極めていった。
■少年期:同性愛の目覚め
1880年、アルバートの母は安定した政府の職を得ることができ、9歳になった彼を引き取った。しかし仕事が忙しいため相手をしてあげることができず、寂しい気持ちを抱えたアルバートは12歳の頃から電報配達をしていた少年と親密な関係になる。この少年もまたひねくれた人生を歩んでおり、アルバートに食糞と飲尿で性的興奮を得ることを伝授。アルバートが自分よりも若くて小さい男児が好みだと確信したのもこの頃で、週末になると当時アメリカに存在していた公共風呂に入り浸り、男児の裸体をガン見しながらやらしい妄想にふけるようになった。性的なことで頭の中がいっぱいだったアルバートは、エロい言葉を操るのが上手く、交際相手を求める新聞や雑誌広告を「いやらしく書く」バイトをするようにもなった。
■青年期:男娼になり、同時に強姦することを覚える
15歳で学校を中退したアルバートは塗装・内装工になり類稀なる才能を発揮。このままこの職を極めていくかと思われたが、1890年、19歳の時に一家はニューヨークに移住したことがきっかけで、たかが外れる。当時のマンハッタンにはスラム街など治安の悪い地区が多かったのだが、アルバートはそこで男娼として働くようになったのだ。掘られるだけでなく掘るのも好きな彼は、自分の好みである6歳以下のホームレスの男児などを捕まえては強姦するようにもなった。
■女性と結婚、そして最初の殺人
1898年、アルバートは母が勧める5歳年下の女性と結婚。塗装工として働きながら6児をもうけるが、いたいけな男児を強姦することは止めなかった。
1903年、彼は強姦ではなく重窃盗罪で逮捕され、悪名高きニューヨーク市のシンシン刑務所に服役。ここで特定の囚人仲間と不倫関係になり、知的障がい者である囚人を去勢しようとするなど、堀の中でも性的欲求を満たすことばかり考えながら過ごした。そして出所後の1910年。アルバートはデラウェア州で「どうしても痛みに苦しむ幼児の顔が見たい」という欲求に勝てずトーマス・ベッデンという男児を刺し殺した。この殺人事件は証拠不十分のため確認できていないが、彼はこれが最初の殺人だったと後に証言している。
1917年、そんなアルバートに嫌気が差した妻が一家に出入りしていた便利屋の男と蒸発。自分のことを棚にあげて「裏切られた」とショックをうけた彼は、この頃から幻聴や宗教的な幻影を見るようになり、言動がおかしくなっていった。
■さらに狂い始めた精神、過激化する奇行とマゾヒズム
ニューヨークのウエストチェスター郡にある別荘に滞在中、子どもたちを連れて山登りをし、頂上でこぶしを突き上げ「我はイエス・キリストだ!」と叫び、「さぁ、父さんの尻を叩きなさい。思いっきり」と命じたりした。この頃から自傷が酷くなり、自分の性器に針を入れて激痛に快感に身を震わせるように。子どもたちにも自傷の手伝いを強要するようになり、親子関係はどんどん悪化していった。
アルバートの奇行に耐えられなくなった長男から家を追い出されてからは、彼の言動はますますおかしくなり、窃盗や淫乱な手紙を送りつけたりして頻繁に逮捕されるようになる。
1924年2月26日に上手いことを言ってエステーリャ・ウィルコックスという女性と結婚するものの、1週間で離婚。そもそも最初の妻と正式に離婚していなかったので結婚したことにはなっていなかったというオチつきだったが、この件でアルバートの精神状態は完全に狂ってしまった。
■ブルックリンの吸血鬼が誕生
1924年7月11日、54歳になったアルバートはベアトリアス・キールという8歳の少女を、スタテンアイランドの農場から誘拐しようとする。「野菜を運ぶのを手伝って欲しい」と言葉巧みに誘おうとしたのだが、変だと察知したベアトリアスの母親に追い払われこれは未遂に終わった。
その4日後の15日、アルバートはロングアイランドで8歳のフランシス・X・マクドネルという名の少女を誘拐し、殺害。その2年後の1926年10月5日、5歳のエマ・リチャードソンという少女を誘拐、殺害。1927年2月11日、3歳と12歳の友人兄弟と遊んでいた4歳のビリー・ガフニーを誘拐。3歳の友人は警察に「ブギーマン(子供をさらう伝説上の悪い妖怪)が来たの」と証言したため、地元新聞は「ブギーマンが出た」と大々的に報じ、大騒ぎとなった。
アルバートはそんな騒ぎを気にすることなく、ビリーをライカー通りの家に連れて行き、翌日まで監禁。翌午後2時にアルバートは家に戻り、強姦するだけでなく、ありとあらゆる拷問をして殺害。遺体をバラバラにして、頭部と両腕、膝から下の両足は重石を入れた袋に入れて近くの湖に捨てた。そして、太ももと胴体は4日間かけて、生で食べたり料理したりして味わいながら完食した。
1928年5月28日、アルバートは新聞広告欄に「働きます」と応募記事を掲載した18才のエドワード・バッドに、「フランク・ハワード」という偽名を使って会いに行った。ニューヨークのファーミングデールに大農場を持つオーナーという設定で、エドワードを獲物として拘束しようと訪問したのだが、予想以上に体格がよかったため、断念。その代わりにエドワードの10歳になる妹グレースを狙うことにした。アルバートは「フランク・ハワード」になりきり、エドワードの家を数回訪問。彼の両親に「自分の農場でとれた」として、フルーツや野菜を渡し、信頼を得ることに成功。「近くで妹の孫の誕生日パーティーが行われているので、ぜひ同年齢のグレースを連れて行きたい」というアルバートの申し出にも、快く応じてもらえた。こうしてグレースを連れ出したアルバートは、事前に調べていたロチェスターの空き家に彼女を連れ込んだ。
返り血を浴びないため全裸になったアルバートは、2階のあるクロゼットの中に隠れてから、庭で待たせていたグレースを呼んだ。2階に上がった彼女は全裸のアルバートを見て泣き出し、「ママに言いつける!」と逃げ出した。アルバートはグレースを押さえつけ、叩かれたり、ひっかかれたりの抵抗を受けながら全裸にし、首を絞めて殺害。9日間かけて、彼女の血を飲み、肉や臓器を食した。あまりの美味さに有頂天になったアルバートは、このことを知らせたいという気持ちを抑えきれなくなり、グレースの母宛に「どうやって殺して、バラバラにして食したか」を図入りで細かく執筆。「強姦しようと思えばできましたが、あえてしませんでした。娘さんは処女のまま死んだのです」と書き、6年後の1934年11月11日に郵送した。
この6年間にもアルバートは次々と殺人を犯したと見られている。1930年7月13日は4歳のエミル・アリング、その後の1931年5月2日に6歳になるロビン・ジェーン・リュー、1932年2月15日に16歳になるメアリー・エレン・オコナー、1932年12月15日には17歳のベンジャミン・コリングズを殺害したと見られている。
■逮捕、勃起しながらの死刑
アルバートは、グレースの母に送った手紙に以前勤めていた会社のロゴがついていたことから足がつき、連続殺人事件の犯人として逮捕された。事件を捜査していた刑事が1934年12月13日に自宅を訪れたとき、アルバートは冷静だったが、カッターナイフで刑事を切りつけようと抵抗。しかし、身長165cmと小柄で痩せ型の彼はあっけなく取り押さえられ、連行された警察署で証拠を押さえられていたグレース、フランシス、ビリーを殺したことを認めた。
1935年3月11日から10日間にわたり開かれた裁判で、アルバートの弁護士は、「糞性愛、尿性愛、ペドフィリア、マゾヒズム、サディズム、人食愛などのフェティシズムの持ち主であり、精神異常者だ」と主張。アルバート自身も、「子供を殺せと神の啓示を受けた」と言い張った。しかし、陪審員は事件が世間に与えるインパクトの大きさを考慮し有罪判決を下し、裁判官は彼に死刑を宣告した。
死刑と言う判決にはかなり不服だったアルバートだが、電気椅子で死刑に処されることには激しく興奮。勃起しながら電気ショックによる痛みを妄想し、その日を心待ちにした。
1936年1月16日。ニューヨーク市のシンシン刑務所でアルバートの死刑が執行。最初の電衝では死に至らず、2度目の電撃により絶命したと発表された。彼は釘を飲み込む自傷癖があり死刑執行時も胃に大量の釘があったため、「飲み込んだ釘により、ショートしたのだ」と報じられた。
いたいけな子供たちを強姦し、殺し、食べたことは、別に悪いことではないと思い続けていたアルバートの最期の言葉は、「なんで私はこんな椅子に座ってるのか。全くわけが分からん」だった。65歳だった彼は、同刑務所で処された最高齢の死刑囚であり、6人の子ども全員が彼の遺体を引き取ることを拒否したため、刑務所の墓地に埋葬。今も刑務所の墓地で凶悪犯たちと一緒に眠っている。
(文=夢)
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