>  > 天才過ぎて、自分でも追いつけなかった男 ナムジュン・パイク

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【拝啓 澁澤先生、あなたが見たのはどんな夢ですか?~シュルレアリスム、その後~】――マルキ・ド・サド、そして数多くの幻想芸術……。フランス文学者澁澤龍彦が残した功績は大きい。没後20年以上たったいま、偉大な先人に敬意を払いつつ、取りこぼした異端について調査を進める――

 ダダ史上、もっとも偉大なアーティストは誰かと問われたら、筆者はためらうことなくこの芸術家の名前を挙げる。

 ナムジュン・パイク(1932年~2006年)だ。漢字では白南準と表記される、韓国系アメリカ人のビデオ・アーティストである。

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画像は、ナムジュン・パイク氏 Wikipediaより


■偉大なアーティスト、ナムジュン・パイク

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画像は、「ナムジュン・パイクアートセンター

『グッド・モーニング・ミスター・オーウェル』『バイバイ・キップリング』『多々益善』…。好きな作品を挙げればきりがなく、先月も韓国の「龍仁」にあるナムジュン・パイク・アートセンターへ行ってきたばかりだが、感想はもちろん、“最高”だ。

 ナムジュン・パイクは稀代の天才だったのだなあ…と、あらためて実感した次第である。

 ナムジュン・パイクの妻は夫について、こう述懐している。

『作曲と美学を専攻したという彼であったが、ビデオ・アートに専念するうちにナムジュンはテレビに関連した専門技術をいとも簡単に吸収してしまった。(中略)芸術家でありながら科学と技術のジャンルを超越していた偉人であるレオナルド・ダ・ヴィンチと同様、ナムジュンもやはり芸術的感覚と識見、科学技術に対する理解、そして人類の文明に対する深い洞察力を備えた人間であると、私ははっきりと確信した』(久保田成子・南禎鎬『私の愛、ナムジュン・パイク』平凡社より引用)

 没後10年近くたった今では、数多くの論考が発表され、ようやく作品の核心に迫ることができるようになったが、今回この原稿では、そんなナムジュン・パイクの、決してWikipediaや公式サイトには記載されないであろう意外な一面について紹介していきたいと思う。


■澁澤龍彦との意外な接点

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画像は澁澤龍彦。Wikipediaより

 あらためて述べるまでもないが、本原稿は澁澤龍彦が取りこぼした異端についてフォロー&紹介していくというコンセプトで書き進めている。が、そんな澁澤龍彦とナムジュン・パイクはなんと面識があったそうだ。

 東京大学美学部在学中のナムジュンはひとりの女性に恋をする。当時、鎌倉に住んでいたナムジュンは近所に住んでいたその女性に日比谷公会堂で開かれるコンサートのチケットを買って送り、いっしょに行こうと懸命に誘う。ナムジュン、はじめての恋だった。

 けっきょく、恋は実らなかったのだが、努力の甲斐あって、その女性とは親しくなり、女性からは仏文科に通う兄を紹介されるなどして、交流を深めたそうだ。その女性の名前は澁澤道子といい、兄の名前は龍彦といった。そう、ナムジュンは大学在学中にあの澁澤龍彦と意外な形で交流していたのだった。

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画像は、「ナムジュン・パイクアートセンター


■驚くべき語学力

 韓国語、日本語、英語、ドイツ語、フランス語他、数カ国語を自由に操ったナムジュンだったが、あまりにも頭の回転が早く想像力が豊かなので、会話のスピードが思考のスピードに追いつかず、間に入るべき単語がいくつも抜け落ちてしまい、周囲の人間は理解するのに苦労したらしい。文章も同じことで、筆記のスピードが思考についていけず、非常に難解なものになっている。たとえばこんなふうに。

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