撮影:酒井透、小田部あけみ
大正7年(1918年)~大正11年(1922年)にかけて建てられた9階建ての日給住宅(16~20号棟)は、当時、国内最高層のアパートとなっていた。建物の右側が吹き抜け廊下となっていて、左側がベランダになっている。間取りは、6畳+2畳+土間兼台所~8畳+4.5畳+土間兼台所(2K)で、日給をもらう鉱員が住んでいたことから、このように呼ばれていた。
撮影:酒井透、小田部あけみ
大正7年(1918年)~大正11年(1922年)にかけて建てられた9階建ての日給住宅(16~20号棟)は、当時、国内最高層のアパートとなっていた。建物の右側が吹き抜け廊下となっていて、左側がベランダになっている。間取りは、6畳+2畳+土間兼台所~8畳+4.5畳+土間兼台所(2K)で、日給をもらう鉱員が住んでいたことから、このように呼ばれていた。
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