写真・新納翔
■ふらっとやってきたおばあちゃん
山谷も時代の流れを受け、介護士のいる福祉型の宿やホスピスが目立つようになった。「普通の街になった」と言っても差し支えないだろう。大阪・釜ヶ崎や横浜・寿でも福祉相談所があり、肉体労働者の街という言葉はもはや過去のものともいえる。もちろんドヤ街にはまだ肉体労働者はいるが、仕事は求人誌やウェブサイトから見つけるのが大半だ。山谷の居酒屋で「こないだよぉ、こんなアプリ入れたんだ」と自慢げに見せあう光景も今や山谷の日常である。
2002年の日韓ワールドカップ以降、ホテル「ニュー紅陽」が外国人向けのサービスを初めてから、日本に来るバックパッカー向けの宿や、地方からの就活生やビジネスマンを受け入れる宿も増えた。暗くなった労働センターの前を女子高生がひとり歩く光景は、少し前なら考えられなかったであろう。古いドヤが解体され、レオパレスが建つなんてことも珍しくはない。とはいえ、報道番組等で外国人向けの宿が紹介されたりするが、依然として昔ながらの宿のほうが圧倒的に多く、堂々と「女人禁制」「一見様お断り」「ポンチュウ帰れ、すぐにばれるぞ!」といった張り紙が玄関脇にある宿もいまだにある。女性が山谷にいるとしたら、吉原崩れか、飯炊き女くらいなものだという見方は健在である。
今回の主人公であるお婆さんが、うちの宿にやってきたのは2010年の暑い夏の日だった。荷物はたったひとつの小さな手提げ袋だけで、その話し方や所作から山谷に似つかわしくない印象を受けた。私のいた宿は、3割ほどが生活保護や年金暮らしの方で常にうまっており、残りの部屋を海外のバックパッカー等に提供していた。土地柄から、帳場にいると様々な人が訪ねてきて、前日に出所してとりあえず部屋が見つかるまで泊まりたいという人や、難民の方、DVから逃げてきたという訳ありの方が多いのだ。
「埼玉にいる姉に世話になることになっているから、ちょっと間だけ泊めてほしいんです。迷惑は一切おかけしませんから……」
話を聞くに、10軒以上のドヤで断られて来たらしい。泪橋交差点から浅草方面へ向かって左側は比較的古い宿が立ち並び、昔と変わらぬ運営スタイルを貫いている宿が多い。帳場さんというものは奇妙なもので、ドヤ街では何かと帳場さんにペコペコと低姿勢な人が多い。内心「なにくそ、この若造め」と思っているのだろうが、帳場に断られたらその日は野宿になってしまうかもしれない。それが夏場ならいいが、冬場ともなればそれすなわち死を意味する場合もある。この時代になっても山谷では「越冬」が深刻な問題として扱われているのである。