アイヌ伝説の小人・コロポックルの棲家が埼玉に? 希少植物・ヒカリゴケも自生する「吉見百穴」の神秘的奇観

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 小説『蝮のすゑ』などの著作で知られる第一次戦後派の作家・武田泰淳(1912~1976年)。彼は厳寒の北海道で海難事故にあった船の乗組員が、仲間の肉を喰らいながら生き延びたという実在の死体損壊事件、いわゆる『ひかりごけ事件』(1944年)をモチーフに小説『ひかりごけ』を上梓した。この事件は、我が国で唯一、裁判が行われた食人事件として知られている。同作の表題となった希少植物・ヒカリゴケは、洞窟のような冷暗所で美しい緑色に発光するもの珍しい植物である。


■世界的にも珍しい奇観

 埼玉県比企郡吉見町にあるここ『吉見百穴』は、古墳時代後期に掘られた無数の横穴がその口を外に向かって無言で開く、珍しい景観が特徴の遺跡だ。無骨な岩肌に点在するその開口部はトルコの奇岩群・カッパドキアを彷彿とさせる独特なものである。明治時代には、あの大森貝塚(東京)の発掘でその名を知られる考古学者・エドワード=モースが、また、江戸時代における蘭学の振興に寄与したドイツの医師、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの次男・ヘンリー・シーボルト(小シーボルト)が調査に訪れている。『吉見百穴』の景観は、世界的に見てもいかに特異なものであったかがよくわかる。

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 実際に現地を訪れてみると、遠巻きに見てもその岩肌をむき出しにした小高い山の一部に、いくつもの穴が口を開いていることが見てとれる。それらはある程度、規則的に並ぶようにして開けられており、風化や浸食といった自然現象によって開いたものではないことは一目瞭然だ。

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■埼玉にヒカリゴケが自生するミステリー

 さらに近づいてみると、それらひとつ1つの穴は、さほど大きなものではなく、大人が出入りするには小さいが、棺のようなものを入れるにはちょうど良い大きさであるという印象を覚える。心無き者によって刻まれた落書きを横目にその内部へと足を踏み入れてみると、遺体を安置するようなスペースが設けられていることも確認できた。この場所が近現代の考古学の世界において、古代における集合墳墓であったと見なされるようになったのも、どこか合点がいくところである。

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 しかし、そんな『吉見百穴』を語る上で、決して避けては通れないのが、原始的な希少植物・ヒカリゴケとコロポックル伝説だ。実はこの岩山の下の方には、関東地方としては極めて珍しいヒカリゴケの自生地が存在しており、そうした経緯から、当地は『吉見百穴ヒカリゴケ発生地』として、国の天然記念物に指定されている。

 通常、冷涼な地域を好むヒカリゴケは、その生態ゆえに、ロシア極東部やヨーロッパ北部、北アメリカなどにその自生地を確認することができるものだ。それこそ冒頭で触れた武田泰淳の小説ではないが、日本では主に北海道などでその姿を確認することができる植物である。そんな同植物の自生地が、遠く離れた埼玉に、古くから存在しているという時点で、我々は何とも不可思議な印象を感ぜずにはいられない。

■伝説の小人、コロボックルの伝説

 しかも、そうした物珍しいヒカリゴケの自生と共に見逃せないのが、コロポックルに関する伝承だ。実は弥生式土器の発見者として知られ、1884(明治17)年に人類学会を設立した東京大学の学生・坪井正五郎は、前出の集合墳墓説が生まれる前の1887(明治20)年に、卒論制作作業の一環として、この吉見百穴の発掘に着手している。

 その発掘調査の結果を受けて坪井は、この一帯に掘られた横穴を「住居用」のものとし、それはアイヌ伝承に登場するコロボックルが使用したものであるという見解を発表している。

 ご存知の方も少なくないと思うが、本来、コロポックルとは、アイヌの伝承に登場する小人のことだ。その名が示す「蕗の葉の下の人」という意味から、人形などでは蕗の葉を傘のようにさし、佇む姿が象られていることが多い、いわばファンタジー上の存在とも言うべきもの。また、それがアイヌの伝承にのみ登場するものであるという関係上、その存在に関するはっきりとした伝説・伝承が残るのは、北海道北部や南千島、樺太といったエリアである。だが、なぜか坪井は、北の地から遠く離れたこの埼玉県の吉見百穴を見て、コロポックル住居説を提唱した。ヒカリゴケも、コロポックルも、そのいずれもが、北海道との縁が深いもの。この奇妙な一致は、後世の我々から見ても、なんとも興味深いところだ。

 なお、坪井正五郎が、当地の発掘調査の末に提唱したコロポックル説は、その証拠という意味で乏しいものであり、後年、別の学者の手によって、否定されることとなってしまった。はからずもヒカリゴケとコロポックルという、ふたつの存在が共に持つ「北海道との縁」を鑑みれば、それほど荒唐無稽なものであるとは思い難いものがある。

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 暗所で緩やかな緑光を放つヒカリゴケの姿は、コロポックルの伝説と共に、当地を訪れる者に対して、今なお独特な想いを抱かせている。
(写真/文=Ian McEntire)

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