【死刑囚と面会】平成生まれの死刑囚が衝撃告白 ― 実は「殺人の記憶がない」石巻3人殺傷事件
■記憶が無い事情
筆者はこの日から2年ほど、祐太郎と面会や手紙のやりとりを重ねた。この間、祐太郎が語った事実関係は裁判の認定と色々異なっていたが、とくに大きく異なっていたのは「殺害の計画性」に関してだ。裁判の認定では、祐太郎はA子さん宅を訪ねた際、「邪魔する者がいたら殺そう」と考え、牛刀を持参していたとされるが、本人は次のように言う。
「包丁(牛刀)は誰かを殺すためじゃなくて、姉ちゃん(A子さんの姉)に邪魔されそうになったら脅すつもりで持っていたんです。今思うと、包丁で脅かそうという発想自体がやばいですが、俺、あの時、眠っていなかったんです」
そして、事件の時の記憶がない事情はこうだという。
「姉ちゃんが携帯で警察に通報したところまでは覚えているんです。そこから先は頭が真っ白になっちゃって・・・」
これらはあくまで被告人の主張に過ぎない。しかし調べてみると、この主張を裏づける事実が意外と揃っており、筆者はおおいに頭を悩ませた。
たとえば、「共犯者」とされた後輩の少年は、第一審の公判で「被害者宅に行った際、祐太郎は最初から殺害目的だった」と証言していたが、再び証人出廷した控訴審で「本当は、祐太郎は殺害までは考えていなかった」と証言を覆している。少年によると、取り調べで捜査官に「被害者のことを考えろ」と言われ、第一審までは本当のことが言えなかったという。
また、3人を殺傷した記憶がないという祐太郎の主張については、複数の情状鑑定に裏づけられていた。
まず、精神科医は犯行時の祐太郎について、「警察に通報されるという予想外の事態が起き、自律神経症状と記憶欠損を伴う系列の暴力が生じたと考えられる」と結論。また、臨床心理士によると、祐太郎は犯行時、自分が自分であるという感覚が失われる「解離性障害」に陥っていたという。こうした障害はいじめや虐待を受けた経験と因果関係があることが知られるが、祐太郎も幼少期に母親に虐待やネグレクトをされており、鑑定結果には相応の説得力があるように思えた。
祐太郎が何の落ち度もない2人を殺害し、他にも1人に重傷を負わせたのは紛れもない事実だ。とはいえ、犯行の悪質さについては、捜査機関により話を盛られているのではないか・・・。筆者は取材を重ねるほどにその思いが強まり、複雑な気持ちにさせられたのだった。
■「虐待があったから強くなれた」
もっとも、祐太郎本人に悲壮感はなかった。自分が死刑判決を受けていることについても、「俺は死刑制度に反対していないし、死刑が意味のないことだとも思わないんですよ。それに自分がしたことについて、死刑にすべきか否かというのは俺が言うことじゃないと思うんです」と達観したように言っていた。
また、面会の際には事件と関係ない雑談もけっこうしたが、祐太郎が何より楽しそうにしていたのが「東京の話」をしていた時だった。A子さんが妊娠した際、周囲に出産を反対され、2人で東京に駆け落ちしたのが懐かしい思い出なのだという。
「東京では最初、ネットカフェに泊まったんですが、4日目以降は節約のためにコインランドリーに泊まったんですよ。そうしたら警察に補導されちゃったんです」
そういう話をする時の祐太郎は実年齢より幼く思えたが、一方で自分の考えにこだわる頑固な一面も持っていた。たとえば、最高裁に提出した上申書には、事実関係の主張のみを書き連ね、被害者への謝罪や反省の思いを一切書いていないのだが、それも祐太郎のこだわりだ。
祐太郎いわく、「謝罪や反省の思いは被害者や遺族に伝えることで、裁判所に伝えることじゃないと思うんです」とのことだが、謝罪や反省の思いを裁判所に伝えなければ、「反省していない」と受け取られる恐れもある。弁護人にもそう言われたようだが、祐太郎は自分の考えを曲げなかったのだ。
祐太郎は虐待やネグレクトなどの不遇な成育歴を同情されるのも好きではないようで、こんなことも言っていた。
「『かわいそうな子』みたいに言われるのはウンザリなんですよ。むしろ虐待があったから、強くなれたと思っていますし」
しかし、よくよく話を聞いてみると、祐太郎の成育歴は事件と無関係とは思いがたかった。
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2024.10.02 20:00心霊【死刑囚と面会】平成生まれの死刑囚が衝撃告白 ― 実は「殺人の記憶がない」石巻3人殺傷事件のページです。殺人、死刑囚、片岡健、死刑囚の実像、石巻3人殺傷事件などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで