■33歳で社会人になり、40歳でカメラマンデビュー
――転んでもただでは起きませんね。
酒井 でも、東京に戻っても、住むところもないし、住民票も移せない。そんなとき、風俗雑誌を作っている社長と出会ったんです。その雑誌はヤミ金時代によく読んでたので「会社に入れてください」と頼み込みました。当時は、33歳、学歴なし、職歴なし、国民健康保険も税金も払ったことがなく、偽名でした。それでも何を思ったか、社長は会社に入れてくれたんです。
そこでパソコンに初めて触れ、記事のライティング、撮影など本を作る仕組みを学びました。それまでそんな仕事があることも知らなかったですからね。
――33歳にして、初めてマトモな社会人デビューですね。
酒井 その会社には4年ほど勤めましたが、一般の人と交わるのが大変でした。一般的なブラック企業の感覚がわからないんですよ。完全なブラック(反社会的)な仕事しかしてないですから(笑)。
例えば、人になにかをお願いするときの口調は「おい、これ、やっとけよ」。これを当たり前と思うほど、感覚がズレていました。
その会社でも僕はやりたい放題でした。死ぬほど仕事して、売上だけあげればいいやと考えていたんです。勝手に統括本部長という肩書を作って、社長に「あんたは神輿だからだまってのっかってろ」などと暴言を吐いていましたね。最後は、外堀を埋められ、僕も辞めざるをえなくなってしまいました。
――会社員になっても型破りですね。