あのナチスが「ヤバい奴」認定した最凶最悪の親衛隊員ディルレヴァンガーとは
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ナチス親衛隊(SS)の中でも特に悪名高いのがオスカール・パウル・ディルレヴァンガーである。ディルレヴァンガーが隊長を務めた武装親衛隊「第36SS武装擲弾兵師団」は、他のナチスの部隊から排除された殺人犯や強姦魔といった犯罪者から構成され、民間人に対する虐殺や略奪、性的暴行などの蛮行を繰り返したため、他の武装親衛隊からも「武装親衛隊の面汚し」のレッテルを貼られるほどだった。
ディルレヴァンガー自身も、SSに入隊していた1934年に13歳少女に対する性的暴行の罪と、飲酒運転によって公用車に損害を与えた罪で逮捕され、有罪判決を受けて2年の禁固刑が宣告された。同時に、それまでに得た職や博士号、軍における名誉もすべて剥奪された。当時のディルレヴァンガーについては「薬物の影響下で暴力を振るう癖のある、精神的に不安定な狂信者かつアルコール依存症」だったといわれている。
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ディルレヴァンガーは大戦中、生きたまま焼き殺すなどの残虐な方法で、赤ん坊や子供を含む数万人の民間人を殺害した。サディスティックな快楽を得るため、ユダヤ人女性の囚人を全裸にして鞭打ち、苦しみながら死ぬのを観賞するために毒物を注射したとされる。英国の軍事史家マーク・フェルトン氏は、第36SS武装擲弾兵師団を「ナチスでさえも我慢がならないほどの暴力的な性的サディスト」が率いる「悪の絶対的な縮図」と説明する。
1895年に独ヴュルツブルクに生まれたディルレヴァンガーは、第一次世界大戦中に志願兵としてバイエルン王国陸軍に1年間入隊。少尉に任官して機関銃中隊を指揮し、一級と二級の鉄十字章を受章した。戦後は義勇軍活動に参加する一方、フランクフルト・アム・マイン大学で政治学を修めた。1922年に大学を卒業して政治学博士号を取得すると、翌年ナチ党に入党するも追放され、1年後に再入党したが、今度は13歳少女に対する性的暴行などの罪で収監された。釈放後に勤務したヴェルツハイム強制収容所で、SSの将軍ゴットロープ・ベルガーと親しくなる。1936~39年にかけて、ディルレヴァンガーはスペイン内戦でフランコ将軍側で戦ったコンドル軍団に従事し、負傷しても戦い抜いたとして名誉が回復された。
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第二次世界大戦の勃発時にはSSに志願し、ベルガーの推薦もあって、ポーランドでレジスタンスと戦う部隊の隊長となった。犯罪者によって構成された部隊の活躍によって、ディルレヴァンガーは十字章などをいくつも受章する一方、悪行の限りを尽くしたため身内のナチスから批判されるほどだったという。
1942年8月、部隊はバラナヴィーチ・ゲットーで8350人のユダヤ人を殺害し、このことによってSSから公式に調査された。SS関係者の中には「この犯罪者の集団が1週間以内に総督府から姿を消さない限り、私は自ら出向いて奴らを閉じ込めてやる」と不満を述べる者もいたほどだという。
フェルトン氏はYouTubeに公開した動画で、ディルレヴァンガーの部隊は「非常に重い犯罪で有罪判決を受けた男を意図的に採用していました」と解説する。「通常の状況下では国家によって処刑されたか、刑務所に収監されたままであろう男」で構成された部隊は、武器と力を与えられて恐ろしい犯罪者集団と化していた。ディルレヴァンガーは「常に最前線にいて、決して後方には退かない」「偉大な男」だったため、部下からは英雄視されていたとされる。
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ディルレヴァンガーの特技は「多数の民間人を納屋に閉じ込めた後に火をつけ、犠牲者が逃げようとしたら銃殺する」ことだった。医師や看護師を病院で虐殺し、民間人を定期的に地雷撤去に利用した。この男に殺された人々は12万人にも上ると推定される。ディルレヴァンガーは500人の子供たちを殺害する際、弾丸を節約するため、部下に子供たちを殴り殺したり、銃剣で殺したりするように命じたという。別の部隊のSS隊員は「看護婦の一人が絞首刑に処されているとき、ディルレヴァンガーは彼女が立っていたレンガを蹴りました。私はもうこれ以上見ていることができませんでした」と語ったという。
1945年2月、ディルレヴァンガーはソ連との戦いで負傷し、山に隠れている間にフランス軍に捕らえられた。その後、収容所で原因不明の死を遂げているが、ポーランドの兵士に殴打されて死亡したという説がある。戦後には生存説もささやかれたが、遺体が発掘されて死亡が確認された。SSの中でも特に残忍だったディルレヴァンガーは、当然と言うべきか穏やかな最期を迎えられなかったのだろう。
参考:「The Sun」、ほか
※当記事は2022年の記事を再編集して掲載しています。
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