日本人UFOコンタクティー第1号は誰? ~歴史から紐解く、日本人と宇宙人の邂逅~

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■注目すべきは1958年

・ 第1号は「ワンダラー」酒井克己氏

 宇宙人らしき存在を見たということでは、1958年1月26日、静岡県の大井川河口で、何人かの人物が潜水服のようなものを着た人間を見たという事件が起きている。しかし、あくまでも記録上、宇宙人との接触を果たしたという意味においては、同じ1958年1月に「宇宙人とテレパシーでコンタクトしている」と名乗り出た酒井克己氏こそが日本で最初のコンタクティーのようだ。

 酒井氏は当時、自らを金星人の生まれ変わり、つまり「ワンダラー」であり、前年から「太陽系連合」の統帥部が発するテレパシーを受けて行動していたと述べ、何度もマスコミに登場している。さらにその後、「電車の中で土星人と会ってテレパシーで会話した」とも主張するようになった。


・ その2カ月後に「UFOに乗った」永井勉氏

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 さらに続いて登場したのが、永井勉氏である。永井氏がUFOに乗ったのは、1958年3月26日のことだ。当時、社用で群馬県に滞在していた永井氏は、無事用務を終えた後で釣りなどをしながらのんびりと過ごしていたところ、空に浮かぶ光る物体を目撃した。永井氏が物体に手を振っていると、突然隣に誰かいるように感じ、その誰かと会話が始まったという。永井氏が、

「これからどこへいくのですか」

と訊ねると、

「太陽系ではないアイルランド」

という返答が返ってきたという。そして気がつくと宇宙船の中におり、下界の灯火らしきものを見下ろしていたと伝えられる。


・ さらに雨後の筍のごとく……

 その年の6月7日には、「宇宙友好協会」の有志たちが、自作の宇宙交信機で「宇宙人音声」なるものを捉えている。さらに同年秋には、宇都宮の公務員とされる匿名の人物や堀田建城別氏も宇宙人と会ったと言われている。以来、大勢の人物が続々と、「我こそはコンタクティーである」と名乗りを上げはじめることになる。こうした状況は、アダムスキー直後にアメリカで見られた状況にも類似していると言えよう。


 もちろん、こうしたコンタクト・ストーリーについては、UFO研究家の間でも議論がある。日本最初のUFO研究団体「日本空飛ぶ円盤研究会」会長だった荒井欣一氏や、「近代宇宙旅行協会」を主宰した高梨純一氏など、UFO草創期の日本の代表的な研究家は、上記のコンタクティーたちについて直接面談するなどの調査を行い、いずれも「客観的な証拠はない」として一種の妄想のようなものではないかとの結論に至っている。しかしながら、こうした怪しい側面もまた、広い意味でのUFO現象の一部であると捉えることもできるだろう。


羽仁礼(はに・れい)
一般社団法人潜在科学研究所主任研究員、ASIOS創設会員


参考:平野威馬男『それでも円盤は飛ぶ』高文社
   『週刊読売』1958年4月20日号、及び6月8日号
   『週刊東京』1959年12月19日号
   『宇宙機』第22号

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