許喬彥《縛られて、漂う》 部分
次も台湾人作家だ。
写真の作品は、嘉義市出身の若手作家、許喬彥(Hsu Chiao-Yen)による《縛られて、漂う》である。「そば」、「落花生」あるいは「現地販売会」といった文字が染め抜かれた幟旗(のぼりばた)。これらの幟旗は、地を損なわない程度にドローイングが施された上で、伐採された木の幹に差し込まれている。さらに後方に目を向ければ、枯れ枝にビニール袋が引っかかっている。詩的と言えば詩的だが、造形的に洗練された作品とは言い難い。むしろ、間が抜けている。だが、この台湾の若き作家がつくり上げた芸術空間は、なぜか心を打つものがある。一度見たら、忘れられないのだ。それはなぜか――。
2015年の春を横浜で暮らした彼は、日々、商店の店先に立てられている幟旗を気にしていた。いわゆる販促用アイテムであるが、日本で暮らす私たちにとってはあまりにも「あたりまえ」で、特に気に留めるほどのものではない。だが、許にとってはそうではなかった。その独特な形態が彼の好奇心を駆り立てたのである。
ある日、許は意外な所で幟旗を目にする。神社である。彼はその時の様子をこう述べている。
旗には、献金をした人ひとりびとりの名前が記されている。この光景は、精神性のある儀式のようでもあり、またリアルな情報伝達が効率よく成されるようでもある。(「アートと都市を巡る横浜と台北」カタログより引用)
つまり彼は、「幟旗」に日本における世俗世界と宗教世界の連続性を見出したのである。ゆえに彼は、商業用幟旗の表面にあえて神社の外観を描いた。そこには、彼にとって異国である日本の文化を知ろうとして、必死に自分の手足を動かしながら、ついにその手がかりを発見した時の興奮が伝わってくるようである。だから、この作品は見る者の心を打つのだ。