人類を滅亡から救うのは“イエスの血を引く”日本人!? 謎多き「死海文書」に秘められた戦慄の預言とは?

■死海文書を記した、謎の超能力者宗団

「死海文書」が作成されたのは、今から2000年以上も前のこと。記されていた教義などから、「クムラン宗団」の手によるものと考えられている。

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クムラン遺跡
画像は「Wikipedia」より引用

 この宗団は、死海文書が発見されたクムラン洞窟がある死海北端の岸にある遺跡「キルベト・クムラン」に生活の基板を置き、厳格な戒律と規則に従って共同生活を送っていたというが、その実態は古代ユダヤ教エッセネ派の中核組織であったと考えられている。エッセネ派のルーツは、紀元前1370年頃のエジプトまで遡る。当時、1人の長の元に、いつくかの職能集団が集まって大きな秘密結社を作っていたが、エッセネ派はその職能集団の1つであり、医者や治療師で構成されていた。やがて勢力を拡大したエッセネ派は、エジプト周辺からパレスチナに移り住むが、その生活ぶりは非常に禁欲的で、独身主義と菜食主義を貫いていた。宗団への入会は誰でも自由であり、人種による差別もない。そのため、各地から虐げられた人々が集い、信者が減ることはなかった。

 そして驚くべきことに、エッセネ派には厳しい修行や瞑想などにより、超人的なパワーと未来を見通す予言能力を身につけた者もいたと言われている。そんなエッセネ派の中のエリート宗団、すなわち超能力宗団となったのが、このクムラン宗団だったのだ。


■イエスとクムラン宗団

 さて、キリスト教の開祖であるイエスの生涯は謎に満ちている。貧しい大工だったヨセフの婚約者に、マリアという女性がいた。マリアは神の使いである天使ガブリエルから啓示を受け、処女懐胎し、イスラエル南方にある衛星都市ベツレヘムにてイエスを出産。神の子(救世主)として生まれたイエスは、波乱に満ちた生涯を送ることとなる。

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『エジプトへの逃避』(ティントレット)
画像は「Wikipedia」より引用

 まずイエスは、救世主であるが故に赤子の時から古代ユダヤの王・ヘロデ王に命を狙われた。難を逃れるため、父となったヨセフと母マリアとともにエジプトに逃避する。その間、1~12歳ぐらいまでイエスの消息はぷっつりと途絶えているが、これが第1の「謎の空白期間」と呼ばれている。

 そして12歳になる頃、イエスは両親とともにイスラエルに戻って来る。すると彼は、神殿の前で学者たちを相手取り、活発に議論を交わすようになったという。まだ少年であったイエスは、老成した専門家たちが舌を巻くほどの学識をすでに持っていたのだ。これは、イエスの天才ぶりをうかがわせる逸話である。しかしその後、なぜか彼は再びぷっつりと姿を消してしまうのだ。これが第2の「謎の空白期間」である。

 再び人々の前に現れた30歳のイエスは、預言者ヨハネから洗礼を受け「広野の40日間」の修行に突き進み、覚醒した。その後、救世主として超人的パワーを身につけ、次々と奇跡(空中浮遊・水上を歩く・あらゆる病気を完治など)を起こすのである。ここに、あのクムラン宗団とのつながりを見出すことができる。

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『キリストの洗礼』(ヴェロッキオ工房)
画像は「Wikipedia」より引用

「12歳までは宗団の規則に従って生活する。21歳までは見習いとして修行を積み、入会資格を得た後、試験を受けて30歳までに一人前の宗団員となる」

 そう、彼の人生は宗団の規則と奇妙な一致を見せるのだ! このことから、イエスはクムラン宗団に属していたのでは? という可能性が出てくる。なお、神の声を告げる人として、預言の力を持っていたヨハネは、当時クムラン宗団の一員であったとされる。そのことからも、イエスはクムラン宗団で30歳まで禁欲的な共同生活を行い、肉体と精神を追い込んで能力を研ぎ澄まし、ヨハネから洗礼を受けて覚醒したのではなかろうか。初期キリスト教とクムラン宗団の教義(貞潔と清貧を貫く、財産などを共有する、救世主の到来や終末思想など)に類似点が多く見受けられるのもうなずけるのだ。

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