レオポルド2世はヒトラーよりヤバい! アフリカ内陸で最大3000万人を殺しまくった“知られざる虐殺者”の鬼畜ぶりがハンパない!
ヒトラー、スターリン、毛沢東――悪名をはせる20世紀の虐殺者たちだが、その影に隠れ、歴史から忘れ去られた暴君としてレオポルド2世の名前がある。1000万人を超えるアフリカ人を死に追いやった非道なベルギー国王レオポルド2世の悪行を、海外メディアが取り上げている。
■敬意なき葬列
1909年12月、厳しい寒気に包まれたブリュッセルの街道を、長い葬列が通過してゆく。多頭引きの豪華な馬車の荷台に、ビロードの覆いのかかった棺が安置されていた。
この葬列は、40年以上の長きにわたり、ベルギーを治めたレオポルド2世のものであった。本来、深い敬意と哀悼の念をもって国民に見送られるべき瞬間であるが、この時ばかりはそうなり得なかった。
国民の大半が、彼を嫌っていた。沿道からはヤジが飛び、不意に近づいた通行人が棺につばを吐きかけた。
年老いた国王の評判は、なぜこれほどまでに低下してしまったのか? その背景には、レオポルド2世が死の直前まで固執した「コンゴ自由国」の存在があった。
■コンゴ獲得にみせた執念
1865年、ナポレオン戦争を戦い抜いた父の後を継ぎ、30歳の若さで即位したレオポルド2世は、独立間もない祖国の行く末を案じていた。
その折に彼の目に留まったのは、隣国であるオランダが経営していた南太平洋の植民地である。そして、彼は確信する。国家の偉大さは、植民地から得られる資源に比例すると!
旧支配国・オランダのプランテーションが生み出す莫大な利益が、レオポルド2世の野心に火をつけて、彼は海を隔てた領土を渇望するようになった。彼は議会で弁舌をふるい、未開の土地を手当たり次第に物色し、著名な探検家であるヘンリー・スタンリーのパトロンとなって報告を待った。
そうした努力の結果、レオポルド2世はついに、暗黒大陸と呼ばれたアフリカの中心部に列強の手の及ばない空白地を発見し、その土地をコンゴ独立国と名付けて我が物としたのである。
■苛酷なノルマと弾圧
帝国主義が幅を利かせていた当時、ヨーロッパ各国による海外支配は決して珍しいものではなかった。
にもかかわらず、念願の植民地を手に入れたレオポルド2世が非難されるようになった原因は、コンゴが徹底して王の“私領”として扱われた点にある。
レオポルド2世は自らのポケットマネーで土地を拓き、私兵隊を組織して現地の警備にあたらせた。支配は科学や慈善の名の下に偽装されていたが、手元にある資金が底をついてゆくにつれ、中世を彷彿とさせる無法なふるまいが横行するようになった。
コンゴの産業の主軸はゴムの栽培であったが、現地の住民たちは度を越したノルマを課され、それを満たせない者は次々に罰せられていった。具体的な方法については、コンゴを訪れた宣教師たちが詳しく書き残している。
ある記述には「十人ほどの住民に網をかけ、石を吊るして川に沈めた」とあり。別の記述には「切り取った住民の頭を柵に掲げ、十字架を模した晒し首にした」とある。
さらに、コンゴの象徴として名高いものに、バスケットに山と積まれた血だらけの手首があった。これらは不足するゴムと引き換えに住民たちから回収されたもので、私兵たちの間では一種の通貨として機能していた。手首を上司のもとへ届けると、彼らは臨時の報酬にありついたり、任期を短縮してもらったりすることができたからだ。
かかる惨状が新聞や書籍によって各国に伝えられると、コンゴ独立国はあざけりの意味を含め、いつしかコンゴ自由国(自由貿易の意)と呼ばれるようになっていった。
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2024.10.02 20:00心霊レオポルド2世はヒトラーよりヤバい! アフリカ内陸で最大3000万人を殺しまくった“知られざる虐殺者”の鬼畜ぶりがハンパない!のページです。ヒトラー、コンゴ、虐殺、ベルギー、Forest、植民地、レオポルド2世、帝国主義などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで