【日本怪事件】ジャーナリスト黒木氏はなぜ自殺したのか? “疑惑の”岩手17歳女性殺害事件、真犯人追及で県警に調査を求め…
――日本で実際に起きたショッキングな事件、オカルト事件、B級事件、未解決事件など、前代未聞の【怪事件】をノンフィクションライター深笛義也が紹介する…!
ジャーナリストのあり方が問われる今、平成22年11月1日に自死を遂げた、黒木昭雄氏を思い出す。いつも豪快な話しぶりだった黒木氏と、自殺はいかにも似合わない。
「俺が死んだら、警察に殺されたと思ってくれ」
それが黒木氏の口癖だったこともあり、直後は“陰謀”を疑う報道も目立った。だが遺書があったことや前後の状況から見て、間違いなく自殺であった。
遺書には、このような文言があった。
「今さら言う事もありませんが、岩手の事件が私の人生を変えました。それについては後悔していません」
●岩手の事件とは ~「岩手17歳女性殺害事件」~
黒木氏が最後まで追っていたのが、その2年前に岩手県で起きた女性殺人事件だった。
平成20年7月1日午後4時30分ごろ、宮城県栗原市に住む17歳の佐藤梢さんの遺体が、岩手県川井村(現宮古市)の松章沢の川床で見つかった。司法解剖の結果は、絞殺による窒息死であった。首を絞められた後、橋から突き落とされたと見られた。
7月29日、殺人容疑で小原勝幸(当時・28)に逮捕状が出され、全国指名手配された。
・事件発生3日前
遺体発見の3日前の6月28日、佐藤梢さんは小原から呼び出された。梢さんと一緒にいた知人男性によれば「恋の悩みについて相談をしたい」と持ちかけられたとのことだ。この時、彼女は冗談めかした口調ながら、「私、殺されるかも」と言っていた。さらに、彼女は、自分とまったく同姓同名の友人・佐藤梢さんと29日まで電話とメールのやりとりをしている。
・遺体発見後
梢さんの遺体発見後の7月1日の午後9時過ぎ、岩手県田野畑村で小原が運転する車が電柱に激突した。通りがかった地元男性が、小原を彼の実家まで送っていったが、酔った状態で右手から血を流し「もう俺はおしまいだ。死ぬしかない」と口走っていたという。
田野畑村には太平洋に面した、鵜ノ巣断崖がある。標高200mの絶壁は三陸海岸北部を代表する景勝地だが、自殺の名所でもある。
7月2日午前、小原は、断崖の写真を添付して「俺、死ぬから」と恋人にメールする。弟(次男)には「サヨウナラ、迷惑な事ばかりでごめんね」とメールした。「飛び降りる」と友人にも電話している。
7月3日、鵜の巣断崖の掃除に来た田野畑村の職員が、サンダルやタバコ、財布を見つけた。だが小原の遺体が発見されなかったため、警察は自殺は偽装であり逃亡していると見て、小原を100万円の懸賞金付きで全国指名手配した。
■黒木氏が抱いた疑惑
これだけを見れば、小原が怪しいと見るのは、ごく自然な感情だろう。
黒木氏は、TBS系「テレビ公開大捜査SP あの未解決事件を追え」の取材で、平成20年現地入りした。小原が犯人だという警察の見立てに疑問を持ち取材を続け、『週刊朝日』誌上で何度も疑問を投げかけた。
梢さんを呼び出した翌日の6月29日、小原は右手を負傷して済生会岩泉病院を受診している。診察した医師から黒木氏は、このように聞いた。
「本人は、酒に酔って壁とけんかしたと言ったが、壁を殴ったようなケガではなかったし、噛まれたような傷でもない。右手には運動機能障害があり、あれでは首を絞められない」
梢さんの死亡推定時間について、岩手県警はこう答えた。
「被害者の行方が分からなくなった6月28日の深夜から、遺体が発見された7月1日の午後4時30分頃までの間だ」
犯罪報道では、死亡推定時間は数時間程度の幅で特定されていることも多い。行方の分からなくなった時間すべてを死亡推定時間としているのは、異常だ。死後硬直や胃の内容物から岩手医科大学の死体検案書では、6月30日から7月1日までを死亡推定時間としているが、それさえも無視しているのだ。
なぜこんなことになっているのか。
■佐藤梢さんの足取り
6月28日午後11時頃、宮城県登米市内のコンビニで、佐藤梢さんの姿が防犯カメラに捉えられていた。これが彼女の最後の足取りだ。
6月29日午前2時14分から3分間ほど、小原の姿が岩手県盛岡市内のガソリンスタンドの防犯カメラに捉えられていた。右手には白い布を巻いていた。
6月29日午前9時頃、小原は岩手県田野畑村にある弟(次男)の家に現れる。梢さんは同乗していなかった。右手に大けがを負っていたため、この日、済生会岩泉病院を受診したのだ。30日まで小原は弟の家に泊まる。梢さんの遺体が発見された川井村まで車で2時間かかる距離だが、小原が4時間以上家を空けた事実はない。
小原が梢さんを殺害できる時間はきわめて限られており、死亡推定時間を絞り込むとアリバイが成立してしまう。だから曖昧にしているのだという疑いさえ浮かぶ。
■真相は?
この背景には何があったのか。
平成19年2月、小原さんは後輩と宮城県登米市内のショッピングセンターで、2人の女性をナンパしてそれぞれ付き合いが始まる。この2人はどちらも佐藤梢、同姓同名だった。亡くなったのは後輩と付き合ったほうの梢さんだが、それまでには別れていた。
その3カ月後の5月1日、小原は、ある男性から日本刀を口に入れられて脅される。前年の秋に男性から紹介された型枠大工の仕事があまりにもきつすぎて逃げ出したのだが、「顔に泥を塗った。迷惑料として120万円払え」と迫られ、保証人として交際中の梢さんの名前・電話番号を書いてしまう。
日本刀を用いた男性の脅しは「恐喝及び銃刀法違反」にあたるが、小原が梢さんを伴って岩手県久慈署に被害届を提出したのは平成20年の6月3日だった。
小原と梢さんの交際は順調ではなかった。強引な性格で暴力も振るう彼と、梢さんは別れたいと考えていたのだ。6月28日、前夜から2人で来ていた盛岡競馬場から、梢さんは電車を乗り継いで、宮城県の実家に逃げ帰ってしまう。金もなくガソリンも少なかったので、小原は追っていくことはできなかった。「被害届けを取り下げるから戻ってきてくれ」と携帯電話で説得を試みたが梢さんは応じなかった。
その夜に、後輩と別れ友人となっていた、もう一人の佐藤梢さんを小原は呼び出したのだ。彼女は、小原の交際相手の梢さんに携帯をかけている。小原としては説得してもらいたかったのかもシれない。
6月30日昼頃、小原は久慈署の担当刑事に被害届の取り下げを申し出たが、拒否されている。そして7月1日、佐藤梢さんが遺体で発見されたのだ。
小原さんと交際していた佐藤梢さんはその1年後、黒木氏にこう語っている。
「だれかから被害届を取り下げるように迫られていたんだと思います。でも、できなかったので、代わりに保証人の私と同姓同名の彼女が殺されたとしか考えられません」
小原が殺人犯とは考えにくいと考えた黒木氏は、小原を日本刀で脅した男性にまで会って質している。
黒木昭雄氏は、ジャーナリストになる以前は23年間警視庁に在籍し、23回もの警視総監賞を受賞している。「捜査するジャーナリスト」とも呼ばれ、この事件に関して批判するだけでなく、岩手県警にきちんとした捜査をしてもらいたいと考えていた。平成21年には地元で「岩手県知事に対し、『事件調査委員会』の設置を求める」署名運動まで行っている。
小原容疑者はいまだに殺人犯として写真入りで重要指名手配されている。黒木氏が自殺した11月1日は、小原容疑者にかけられた懸賞金が100万円から300万円に引き上げられた日だった。亡くなる前日、黒木氏は「税金が警察の犯罪隠しに使われています」とツイッターに書き込んでいた。真犯人を突き止めてほしいと願っていた警察のこの所業に、黒木氏は絶望したのだろう。
「父は自殺したとは思っていません。殉職だったと思っています」
葬儀での長男、昭也さんの言葉である。
(文=深笛義也)
【転載・拡散】本日、手配中の容疑者小原勝幸の懸賞金が300万円に増額されました。岩手県警の請託を受けた警察庁が隠したかったのはこの事実です。税金が警察の犯罪隠しに使われています。皆さん、追及の声を上げて下さい。お願い申し上げます。http://bit.ly/cpQ993
— 黒木昭雄 (@kuroki_akio) 2010年11月1日
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