オーストリア少女監禁事件 ー 8年間半地下室に監禁された「永遠の10歳」ナターシャ・カンプッシュ
■地下室の永遠の10才
彼女の語るところでは、地下室での日々は、ほとんど同じメニューの繰り返しであったらしい。まず、プリクロピルと一緒に朝食をとる。彼が仕事に出かけると、本を読んだり、テレビを観たり、ラジオを聴いたり─。
本やビデオの助けを借りて、編み物や料理などを独学し、さまざまな家事もこなした。夜は夜で、帰宅したプリクロピルとのたわいのない会話に費やされたようだ。ここで、囚われの姫君の閨房ならぬ地下室の様子をご覧いただきたい。「地下室」という言葉がかもしだす、一種、陰惨なイメージはどこにも見当たらない。ほっと息をつきかけて、しかし、次の瞬間、何かひっかかるものを感じるのは、筆者だけではないだろう。
この部屋は明らかにキッズ・ルームであって、誘拐犯がナターシャに求めたものを、無言のまま物語っているかに思える。
彼は、少女が生きたコレクションとして、永遠に10才のままでいることを望んでいたのではあるまいか? その間接的な証拠の1つに、プリクロピルが、成長期の肉体が求める食事を十分にあたえなかった事実がある。繰り返すが18才の解放時の体重は、誘拐時とほぼ同じ42キロだった。
もう1つは、ナターシャが後に『自伝』で明かしたように、容疑者が少女に性交を強要しなかった点だろう。キスや愛撫といった軽い性的な接触はあったものの、彼は決して無理やり少女の身体を奪おうとはしなかったのだ。
■なぜ逃げなかったのか?
事件の全容を解明すべく、捜査当局はナターシャから繰り返し事情聴取をおこなったが、いまだ、多くの謎がそのままになっている。筆者も含めておそらく読者がもっとも不思議に思うのは、8年半ものあいだに、逃げる機会がまったくなかったとは考えられず、隙をついて、なぜ逃亡を試みなかったのかに集約されるだろう。また、にもかかわらず、8月のある日、突然、逃げ出した理由…。
こうした当然の問いに、ナターシャは「もう少しでいいから、独りにしておいてほしい。たくさんのひとびとが自分を心配してくれるのは嬉しいけれど、すべてをうまく説明できるようになる時がくるまで、とにかくそっとしておいて欲しい、時間が欲しい」と答えている。
■手記『3,096日』を刊行
…そして、時がすぎた。解放から5年後の2010年9月、ナターシャは幽閉の日々を克明につづった手記『3,096 Days』を出版した。それは「人生の一部」であった容疑者に対する深い思い入れと、それとは明らかに矛盾する、警察の杜撰な捜査に対する憤りが混在した、奇妙な書物だ。
ここから、脱出にまつわるエピソードを引いてみよう。18才になったとき、彼女は彼に解放を持ちかけたという。そしてどうやら、男は長い蜜月の終わりを受け入れたものらしい。それから数週間後、プリクロピルは電話をとるために、彼女を1人、わざと庭に残した。ナターシャが逃げ出したのは、この時だった。
『3,096 Days』は映画化され、ナターシャは翌年、その印税と全国各地から届けられた寄付金を使って、スリランカに小児病院を建設した。
事件以来、彼女は不安定な精神を抱えながらも、社会生活に適応しようと努力をつづけ、2010年には22歳で大学を卒業している。現在、26才。彼女の心の傷が一刻も早く癒えることを祈りたい。
■そして、ミステリーはつづく
こうして、現代オーストリア最大のミステリーの一つ「ウィーンの少女神隠し」は、少なくとも、かたちの上では解決をみた。だが、このケースはわたしたちに、つづいて同時に、人間にひそむ3つのミステリーを投げかけることになりはしまいか?
1つ─。古来、男性という生物に執拗につきまとう「少女誘拐・幽閉」という、人類的な広がりを持つと想像される、黒い所有の慾望…。その正体は、はたしてなにか? わたしたちは今後、どうすればこの不吉な遺伝子に、あるいは共同幻想に別れを告げることができるのだろう。
もう1つは、少女が死んだ誘拐犯に寄せる不可解な悼みと愛情だ。この奇妙な複合感情は、犯人と強く接触した犯罪被害者が過剰な連帯感や好意、また同情を抱いてしまう「ストックホルム症候群」の一種と考えられる。この事例については稿をあらためて、後ほどご報告したい。
最後の1つは、先の「ポロック家の生まれ変わりの双子」の回で書き漏らしてしまった問題――。そう、カール・グスタフ・ユングが提唱した、あの「シンクロニシティー」である。
父親ジョンの抱いた、事故死した姉妹が双子となって生まれ変わる異常なヴィジョンと強烈な願いが、かれらの転生になんらかの作用をはたしたものと想像されるが、この「ウィーンの少女神隠し」のナターシャの場合もまた、抑圧された家庭環境への不満から日頃、甘美な自殺願望をいだいており、誘拐の瞬間、まさにその空想のなかに囚われていたと、彼女は告白している。
筆を執るのが、いささかためらわれることだが、死んでしまいたい、どこか遠くへゆきたいという少女の現実嫌悪が、いつしか、容疑者を引き寄せる甘い香りを放っていたのだとしたら?
人と霊魂、人と人、あるいは人と事物の間に働く、いまだ解き明かされない、不可知の心的エネルギーの相互作用…。その謎を追って、臆せず、ペンを動かそうっと。ほ・ん・ト・カ・ナ?
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