SNSで排除された写真を展示する『私たちは消された展』の主催者であり、「扇情カメラマン」として活躍する酒井よし彦氏。現在、ギャラリーCORSO(東京・神保町)にて21日まで開催中の「死生有命×月緒展」と題した“生前葬個展”も話題だ。
実は、酒井氏のカメラマンデビューは40歳。それ以前はホスト、ヤミ金融業者など、アウトローな世界で生きてきたという。波乱万丈という言葉では到底収まりきらない、痛快な人生を存分に語ってもらった。インタビュー後編では、ついに酒井氏のカメラマンとしての才能が開花する!
★インタビュー前編はコチラ★
詐欺師→ホスト→闇金→写真家に転身した男、一体なぜ!? 酒井よし彦が語る!
★酒井よし彦氏が主催するイベント『令和三年度 消された忘年会』12/5 開催! チケットは以下★
http://pundit.jp/events/5608/
■ヤミ金時代の給料は月収〇〇〇〇万円!!
――それを毎日続けるとは、相当な覚悟ですね。
酒井よし彦氏(以下、酒井) 貸す側も命がけですよ。回収しに行って襲われたこともあります。相手は農家の人だったんですが、長い鎌を振り回されたんですよ。
弁護士事務所もよくいってましたね。宇都宮健児さんのところも行きました。あの人が多重債務者を助けるのはいいんですが、お金を貸して、1円も返さないのは、こちらからしたら詐欺ですよ。
――たしかにその言い分もわかります。
酒井 僕らのときはまだ詐欺はしてませんでした。条件付きで貸していたわけですからね。のちのち僕が抜けてから、そのグループはオレオレ詐欺などもしていたみたいですね。
僕の時代は悪いことはしているけど、人を騙していないという自負はありましたね。
――本当に返せない人はどうするんですか?
酒井 ぶっちゃけると2万円ぐらいの人は見過ごします。債権者が遠くで行けないとかそういうのですね。若い子たちにあげて、勝手にやってもらってました。ヤクザに債権を売ったりもしますね。
――警察沙汰になったりはしないんですか?
酒井 警察は民事不介入なんで、入ってこないですね。取り立ての時間は朝の6時から夜の21時まででした。(注:現在は朝8時から夜21時まで)
当時はグーグルマップもないから、駅前の交番で「●●さんの番地これなんでどこですか」とわざと聞くんです。債権者の家でガンガンやってると警察が来ます。すると「さっき会ったね」となあなあにもなるんですよ。結構ゆるい時代でした。
ただ、最後はグループ自体が組織犯罪の法律の対象になってしまい、令状なしで警察もきましたね。
――それで酒井さんの給料はいくらだったんですか?
酒井 月にだいたい2000万円ぐらいいただいてました。それ以外ももらってましたし、6年ぐらいやってたので、トータル10億円ぐらいにはなるんじゃないですか?
――そのお金はどうなりました?
酒井 遊んで、全部使い果たしました。今持ってたら、スタジオアリスをやってますよ(笑)。
――その後、ヤミ金をやめた理由は?
酒井 詳しくは言えませんが、国家権力に追われたからですね。それで沖縄に逃げました。
お金は目的がない人が持つと頭をおかしくさせるんですよ。僕らはただの金稼ぎマシーンでした。そのお金に目的がないので、毎日キャバクラとソープ通いでした。
沖縄に行ったときは、もうお金を使い果たして、海でわかめを食ったり、漁師の手伝いをしてご飯を食べさせてもらってました。このままじゃダメだと思い、伊勢海老を密漁して東京に帰ってきました。