16人以上を殺害した「呪われたタンス」 呪いを解こうとした人物も死亡した“最も致命的な家具”
史上最も致命的な家具の1つと評される「呪われたタンス」が存在する。このタンスの歴史は1世紀半以上も前にさかのぼる。
ケンタッキー州歴史協会博物館(米国)には、エンパイア・マホガニーの引き出し4段で構成された一見何の変哲もないタンスが展示されている。しかし、このタンスには残酷な呪いがかけられているといわれる。
1830年代、ジェレマイア・グラハムというある富豪が、黒人奴隷のリーマスに数カ月後に生まれるグラハムの第一子の衣服を収納するためのタンスを作るよう命じたことがすべての始まりだった。
グラハムはなぜかタンスの出来栄えが気に入らず、怒りのあまりリーマスを殴り殺してしまった。他の奴隷たちは、リーマスの仇を討とうと考え、タンスに魔術の儀式を行った。フクロウの血を振りかけ、タンスに服を入れられた者は死ぬという呪いをかけたのである。
タンスにまつわる最初の死(リーマスを除く)は、まさに長男のグラハムで、生まれて間もなく突然死した。グレアムが呪いを知っていたかどうかは定かではないが、その後グレアムはタンスを家族に譲ったことが知られている。
その後、そのタンスに服を入れていた人たちが、死んでいくようになった。しかし、全員が死んだわけではなく、重病にかかったり、大けがをしたりした“だけ”の人もいた。
少なくとも16人が亡くなってから、ようやくタンスが元凶だと疑う人が出てきた。その頃、タンスは祖母のエルザ・グレゴリーから受け継いだバージニア・ハドソン・クリーヴランドの家に保管されていた。
バージニアはなんとかタンスの呪いを解除しようと、メイドのサリーに命じて、死んだフクロウを使った儀式を行うことにした。しかし、この儀式でもし呪いが解けた場合、バージニアかサリーのどちらかが死ななければならないことになっていた。そして、サリーは儀式の後、まもなくこの世を去った。
それ以来、古いフクロウの羽は今でもドレッサーの引き出しの一つに眠っている。サリーが亡くなってから、このドレッサーに衣類を収納する人はいなくなったので、呪いが完全に解けたかどうかは不明である。
1976年、バージニア・ハドソン・クリーヴランドの娘バージニア・キャリー・ハドソン・メインがこのタンスをケンタッキー歴史協会に寄贈し、2015年にはメインの娘ビバリー・メイン・キンズルがテレビ番組に出演、先祖の呪われたタンスの話をした。その2年後、彼女はこの呪われたタンスについての本を執筆した。
現在までタンスにかけられた呪いのために、16人が不幸に見舞われたとされている。また、タンス製作者のリーマスと呪いを解いたサリーは共に死亡しており、タンスにまつわる死者や悲劇は合計18名にのぼる。以下が犠牲者の一覧だ。
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2024.10.02 20:00心霊16人以上を殺害した「呪われたタンス」 呪いを解こうとした人物も死亡した“最も致命的な家具”のページです。アメリカ、呪い、呪術、家具などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで