ババ・ヴァンガの不可解な予言がきっかけとなり発見された古代遺跡があった

 ノストラダムスと並び称される大予言者、ババ・ヴァンガの発言によって探索、発見された歴史的遺跡があるという。ブルガリアの山岳地帯に意外なことに古代エジプトの女神の墓があるというのだ――。

■古代エジプトの人々が埋めた石棺の場所とは?

 ソ連崩壊、ダイアナ妃の死去、アメリカ同時多発テロ事件をはじめ、数々の予言を的中させたといわれているブルガリアの予言者、ババ・ヴァンガ(1911-1996)だが、そうした予言のほかにも彼女の発言によって歴史的遺跡が発見されたケースもあるという。

「Ancient Origins」の記事より

 1981年1月、ある男が非常に古い地図を持ってブルガリアのルピテに住むババ・ヴァンガを訪れた。

 この男によると、その地図は宝の場所を示しているはずであり、ババ・ヴァンガに解読を手伝ってもらうことにしたのだった。ヴァンガはそのような人々が好きではなかったが、遠くから来た彼が疲れているようだったので、彼女は彼の依頼を受け入れることにした。

 地図を調べた後、ヴァンガはそれが偽の地図であり、宝物につながるものではないと断言し、その男はとてもがっかりした。

 地図は偽物であったが、気がかりな点もあったことからヴァンガは姪のクラシミラにその地図コピーをとらせて保管することにした。

 失意のうちに男は町を出ていったのだが、ヴァンガはこの地図に記されている非常に古い文字を読むと、大昔にブルガリアにやってきた古代エジプトの人々の驚くべきストーリーが綴らているいたことをクラシミラに説明したのだった。その記述とは以下だ。

「昔、エジプトから人々が海沿いに『現在ブルガリアの一部となっている土地』にやって来ました。彼らは、未知の文字で書かれた祖先の知識が含まれた石棺を埋めるために深く掘り進めました。石棺には私たちの時代の2000年前と2000年後の歴史が刻まれています。その後、封印された秘密を永久に守るため、この遠征隊のメンバーは全員殺害され、多くの血が流されました」

 石棺が埋められたのは、ストランジャ山脈のどこかであるという。ヴァンガはストランジャ山脈の場所について次のように説明した。

「トルコとの国境近くにある小さな山。伐採された野生の植物に続く道があり、その下には幅約4メートル、高さ約5メートルの大きな岩がある」

 そしてヴァンガは付け加えた。

「5月5日にそこに行くべきです。なぜなら、天体の好意で、太陽の最初の光線、そして月の最初の光線を観察すると、何かが観察できるからです」

 それ以上の言及はなかった。もちろんだがババ・ヴァンガは盲目であり、もちろんその場所に行ったこともない。

 ヴァンガから話を聞いたクラシミラは、友人知人たちとこの話を共有し、ヴァンガが説明した謎の場所を探索するための遠征隊を組織することが提案され、5人からなる小さなグループが結成されたのだ。

 5月4日、5人の探検家はストランジャ山脈の神秘的な場所の発見に出発した。ヴァンガの説明によると、当初、彼らは道を見つけるのに苦労したが、その日の終わりまでに正確に現場の位置を特定した。

ストランジャ山脈 画像は「Wikipedia」より

 その近くでキャンプをして一夜を明かした翌日の5日、ヴァンガが言っていたように、日の出の太陽光と夕暮れの月の光で辺りは神秘的な光に包まれたのだった。特に月光では2人の燐光を放つ人影が現れ、その場にいた全員が恐怖に凍りついたが、後にヴァンガはその人物たちは地球から何光年も離れた別の文明の人々のホログラフィック画像だと説明している。

 こうした異常な現象を目撃しつつも、発掘はさらに数カ月続けられたが石棺らしきものは何も見つからなかった。そして同年7月21日、不可解な状況下で遠征隊のリーダーであったリュドミラ・ジフコワが死亡するという痛ましい事故が起きた。このリュドミラの死によって遠征隊の活動は終了することになる。

■ヴァンガの功績で発見された「バステトの洞窟」

 遠征隊メンバーの1人、2000年代初頭に亡くなったクラステュ・ムタフチエフはこの場所がエジプトの女神「バステト」の墓である可能性があるという仮説を立てた最初の1人である。 リュドミラ・ジフコワの死は女神・バステトの呪いではないなかという憶測も招くことになった。ちなみにババ・ヴァンガはエジプトの女神については一度も言及していない。

バステトのアミュレット 画像は「Wikimedia Commons」より

 最近、彼の元妻、ゲルガナ・バカロワは、この遠征に関する新たな情報を明らかにする可能性のあるクラスチュの未公開の個人文書を所有していることを明らかにしている。

 2018年、「プリモルスコ博物館」の館長である考古学者ダニエル・パントフ氏は、この地域でジオレーダーを使用した分析を実施した。彼は深さ約18メートルの場所で異常を発見し、金属でも水晶でもない約50×50センチの完全に対称的な物体が検出されたのだ。さらに人工的に建設されたと思われる地下室や通路の存在も発見されたのである。やはり石棺がこの地に眠っているのか。

画像は「YouTube」より

 1981年5月5日に現地に現れた“発光シルエット”に関する疑問は、今日でも未解決のままだ。

 ヴァンガはこの超常現象の日付と場所を正確に予言していた事実に加え、ヴァンガ自身がグループをこの場所に導いたにもかかわらず、ヴァンガが二度とこの話をしなかったのは不可解ではあるものの何らの確かな理由があったのかもしれない。

 2018年、ウラジスラフ・ロザノフ氏は、1981年5月5日が新月の日であり、その日の「アストラル・コンジャンクション(占星術で二つ以上の天体が同じ星座または宇宙の特定のポイントに位置すること)」が特にユニークであったことを実証する2つの記事を発表した。 ヴァンガはどうしてこのようなことを知っていたのか? どうやら他の国もこの場所に興味を示しているようようで、後にブルガリアの博物館の国立館長となるイリヤ・プロコポフ氏はインタビューで、調査再開に資金を提供するという外国からの執拗な提案を受けていたと語った。

 現在、この場所はブルガリアでは「バステトの洞窟」として知られ完全に開放されており、誰でもアクセス可能である。森林旅行愛好家や多くのミステリーファンを魅了し続けている一方、考古学者や学者たちは新たな発掘の試みを組織する試みを続けているが、今のところ彼らの努力は功を奏してはいない。

 ババ・ヴァンガの言説がなければ発見されることがなかった「バステトの洞窟」だが、今後どのような展開を見せることになるのか引き続き注目していきたい。

参考:「Ancient Origins」、「Curiosmos」ほか

文=仲田しんじ

場末の酒場の片隅を好む都会の孤独な思索者でフリーライター。
興味本位で考察と執筆の範囲を拡大中。
ツイッター @nakata66shinji

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