>  >  > 太平洋戦争中の日本兵が遭遇したUFO

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 今年もまた、8月15日がやってきた。70年前のこの日、昭和天皇の玉音放送によって日本の降伏が国民に公表された。厳密に言えば、一部前線ではそれ以後も戦闘が継続し、また連合国との戦争状態が法的に終了するのは1951年のサンフランシスコ平和条約の調印を待つことになるが、日本では以後8月15日を終戦の日とし、毎年各地で記念行事が行われている。あらためて戦火の犠牲となった人々のため祈りを捧げたい。戦後70年間、日本は直接戦火に巻き込まれることなく、平和を謳歌してきた。このことは、戦乱にまみれた人類の長い歴史の中でも奇跡的なことと言えよう。

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 他方、UFO目撃について言えば、平時であれ戦時であれ常に報告されている。UFOの存在が公式に認知されたのは、1947年の「ケネス・アーノルド事件」以来のことであるが、奇妙な飛行物体は、古代エジプトの時代からほとんど絶え間なく目撃されてきた。それは、第二次世界大戦中の日本でも例外ではない。ただ、この時期の目撃報告は記録に残るものが非常に少ないのが実情だ。何か奇妙な飛行物体を見たとしても、時節柄日本やアメリカの秘密兵器とみなすこともあっただろうし、目撃者のなかにも、自分の体験を語ることなく戦火の犠牲になった者がいただろう。


■「日本宇宙現象研究会」が集めた戦中UFO目撃談

 それでも、「日本宇宙現象研究会」で研究局代表を務めていた故・池田隆雄氏は、日本の関連雑誌や研究団体の機関誌を読みあさり、いくつかの事例を収集している。

 たとえば1944年初秋、横須賀で加藤米二氏は、黒い葉巻型の物体が、長いオレンジ色の尾を引いて、波状飛行している光景を目撃している。当時、海軍航空技術廠(かいぐんこうくうぎじゅつしょう)に勤務しており、航空機には詳しいはずの加藤氏にとっても、これは正体不明の、文字通り未確認飛行物体であった。この年、同様の物体は豊後水道でも目撃され、さらに翌年には、岐阜県丹生川村や愛知県福江町で夜間に謎の光体が目撃されているのだ。


■「宇宙友好協会」が集めたフー・ファイターの事例

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『空飛ぶ円盤ニュース』1963年2/3月号

 他方、初期のUFO研究団体のひとつ「宇宙友好協会(CBA)」は、旧日本陸海軍兵士による「フー・ファイター」の目撃談を収集している。

 フー・ファイターとは、第二次世界大戦中に枢軸国や連合国のパイロットたちがしばしば目撃した謎の飛行物体で、直径数cmから数mまでの球形をしており、通常何個もの集団で現れる。これらの球体は当時の航空機の性能をはるかに凌ぐ高速で飛び回り、翼の近くに接近してまとわりつくのだ。このとき、航空機のエンジンに異常をきたすこともあった。

 その正体については、一部でナチス・ドイツの秘密兵器という説も唱えられたが、戦後になってドイツ軍のパイロットも似たような存在を目撃していたことが確認されている。そして「宇宙友好協会」の機関誌『空飛ぶ円盤ニュース』によれば、日本の陸海軍のパイロット多数も、同じものを目撃していたのだ。

 陸軍はこれを「火玉」、海軍は「火弾」と称したようだが、現場のパイロットたちは「シャボン玉」とか「空のクラゲ」と呼び、アメリカの新兵器だと考えたり、自分の目の異常ではないかと思っていたようだ。いずれにせよ彼らは、戦後アメリカ軍のパイロットも同じようなものを見ていたことを知って驚き、またUFOという存在が広く知られるようになると、自分たちが見たものもそれだったのかと納得したようである。

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