【戦後70年特集】太平洋戦争中の日本兵が遭遇したUFOがヤバすぎる!! オレンジ色した球体の群れに追いかけられ……!
【フー・ファイター目撃談】
・ 零戦のパイロット
さて、『空飛ぶ円盤ニュース』1964年2/3月号によれば、フー・ファイターらしき謎の飛行物体は、太平洋戦争の初期から、しばしば第一航空艦隊(南雲艦隊)につきまとっていたという。時期的には1942年頃のことと推定されるが、ある零戦パイロットは、乗機の翼の近くにぴったりと寄り添うように飛行する謎の飛行物体を目撃した。当時、世界最高であった零戦の運動性能を活かして振り切ろうとしても、物体は翼の脇に接近したまま離れなかったという。
・ 一式陸上攻撃機の射手
また一式陸攻(一式陸上攻撃機)のある射手は、ソロモン海域上空で十数個の謎の球体と遭遇した。球体は銀白色で直径は80~90cmくらい、一式陸攻の後方上空200~300mを水平飛行していたが、やがて急速に上昇して消えた。
・ ビルマ戦線上空にて
時期は少し後のことらしいが、ビルマ戦線上空では、100式司令部偵察機が一列に並んだ橙色の数個の球体に遭遇したことがある。100式司令部偵察機は時速600kmを超える、当時の日本軍最速のスピードを誇る偵察機であったが、高速飛行に特化するため一切武器を装備していなかった。そこでパイロットは、球体の群れが接近してくると高速で振り切ろうとし、さらに左右に翼を振って逃れようとしたのだが、球体も同じ動きをして離れなかった。結局球体は15分にわたって偵察機を追跡した後、これを上回るスピードで飛び去ったという。
・ B29の搭乗員、紫電のパイロット
そして太平洋戦争も末期になると、日本を爆撃するB29の搭乗員がしばしばフー・ファイターを目撃した。そのB29を迎え撃った日本の海軍戦闘機、紫電の編隊もフー・ファイターに遭遇したことがある。その際は何個もの球体が現れ、子犬がじゃれつくように戦闘機の周りを乱舞した。何人かのパイロットは果敢に空中戦を挑んだが、フー・ファイターは近づくと突然垂直に上昇するという考えられない動きをしたため、照準に捉えることができなかった。あるパイロットは、上空から一気に急降下して10個近いフー・ファイターに突入しようとしたが、近づくと突然消えてしまった。そこで各機は基地に戻ろうとしたが、球体は再び姿を現して編隊の4、5メートル上を追尾した。かと思えば、突然高速で紫電の編隊を追い抜き、去っていったという。
なお、厳密には戦時中ではないが、終戦翌年の1946年、作家の新田次郎氏が満州から引き上げる途中、中国東北部の老爺嶺にて「エンゼルヘアー殺人事件」とも呼ぶべき奇妙なUFO事件に遭遇した出来事は、以前掲載したとおりである。いずれにしても、第二次世界大戦中の日本人が、その後UFOと名づけられることになる奇妙な飛行物体と頻繁に遭遇していたということは疑いようのない事実なのだ。
最後に、今回『空飛ぶ円盤ニュース』の記事を参照するにあたり、日本最初の民間UFO研究団体である「日本空飛ぶ円盤研究会」の会員であり、数多くの超常現象関係の著作を持つ前衛科学評論家・斎藤守弘氏より貴重な情報提供を受けたので、この場を借りてお礼を述べさせていただく。斎藤氏は現在、古代の地球上各地に、北極宙域を神格化した「極孔神」信仰が存在したことを証明すべく、世界の古代遺跡や遺物に残されたメッセージの解読を進めておられる。その成果にも期待しよう。
参考:『UFOと宇宙』1970年5月号
『宇宙機』第2号
『空飛ぶ円盤ニュース』1963年2/3月号、1964年8月号
『図解UFO』著:桜井慎太郎、新紀元社
羽仁礼(はに・れい)
一般社団法人潜在科学研究所主任研究員、ASIOS創設会員
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2024.10.02 20:00心霊【戦後70年特集】太平洋戦争中の日本兵が遭遇したUFOがヤバすぎる!! オレンジ色した球体の群れに追いかけられ……!のページです。UFO、羽仁礼、戦後70年、フー・ファイター、軍隊などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで