「暴力的な誘拐結婚は伝統ではありません」80代の老夫婦/林典子
■履き違えられた「自由恋愛」の意味
――というと、今は違った意味で使われているということなのでしょうか?
林 ええ、そうなのです。統計的なものがないので、現地の詳しい人や「アラ・カチュー」の文化を研究している教授などに話を聞いたところ、20世紀になって近代化が進み、情報的に未開の地であったキルギスに新しい思想が入ってきたのが原因のようです。その思想が「自由恋愛」です。キルギスの男性は、この新しい考え方を知って「好きになった人と結ばれてもいいのだ」と思うようになりました。そしてまた、旧ソ連から車が入ってきたのも、誘拐が多発した要因の一つだと言われいます。確かな証拠はないのですが、女性の合意ない「アラ・カチュー」が出てきた時期と、車がキルギスに浸透し始めた時期はほぼ重なっているのです。だんだん、彼らはエスカレートし、合意のない「アラ・カチュー」が出てきてしまい、いつのまにかそれが当たり前のように認識されてしまったということなのです。
――実際に「アラ・カチュー」をした男性はどう思っているのでしょうか?
林 皆それぞれで、色々です。それこそ、罪悪感を感じていて、できれば誘拐結婚はしたくなかったという女々しい旦那さんもいれば、妻の横で誘拐したことを自慢気に話す人もいたり。私は常々、誘拐結婚は絶対に良くないことだとキルギス人にも言ってきましたが、キルギスには「涙を流して結婚していくと幸せになれる」という言い伝えもあるくらいなので、全員を説得するのは難しい。けれども、幸せな結婚をするべきだという考えを持っている人や、中には「殺してでも逃げる」と言いはる女性もいるのは確かです。私は彼らの意見を尊重しますし、「大事なのは、(結果として)幸せになるのかどうか? ではなく、女性が結婚していく“その時”に幸せであるかどうか」だと言いたいのです。
――誘拐婚を受け入れてしまう人々の問題がここにあるようですね。
林 受け入れているというか、諦めているのかもしれません。自分が住んでいる村に「アラ・カチュー」で夫婦になった人が多いと、まるでそれが当然かのように思ってしまう。特に、子供時代から「アラ・カチュー」を見聞きして育っていると、感覚が麻痺してしまうんですね。
誘拐結婚の問題を考えた始めた時は、私の頭には「男尊女卑」という言葉があったのですが、こうしたことがわかっていくうちに、ほかの問題に気づいたんです。「誘拐現場」で車に強引に押し込むのには男性の力が必要だとしても、誘拐して結婚を説得するのはその男性の家の女性達なのですよ。なので、ただ単に「男尊女卑」という言葉だけでこの「アラ・カチュー」を否定してしまってはいけないと思っています。