天才物理学者アインシュタインの知られざる10の素顔 ~相対性理論並に不可解な人物像~
【4】大学入試に失敗
1895年、17歳のアルベルトは、難関チューリッヒ連邦工科大学(ETH)に果敢に挑んだ。入試科目の数学と科学は合格点に達したが、残りの歴史、言語、地理などは全滅…。やむなく、翌年の入学資格を得るために、ヨーロッパの中等教育機関で日本の中高一貫校に相当するギムナジウムに行くはめに。それでも、1年遅れでなんとかETHに入学できた。
【5】実は、私生児がいた!
1980年代になって新たに発見されたアインシュタインの手紙から、突如、天才の秘められた過去が明らかになった。彼は、ETHの学友だったミレーヴァ・マリッチ(Mileva Marić/1875~1948)との間に1902年、1人の私生児を設けていたのだ。その後、ミレーヴァとは1903年に結婚したが、1919年に別れてている。
生まれた女児は、「Lieserl(リーゼル)」と名づけられた。だが、アインシュタインは生涯に渡って、その子と一度も顔をあわせていない。
1902年の1月、ミレーヴァはノヴィ・サド(旧オーストリアー=ハンガリー帝国・現在のセルビアの都市)の実家で娘を出産した。アインシュタインは、このときスイスのベルンに滞在していた。ミレーヴァから届いた手紙の内容によれば、お産は困難なものだったらしい。
1903年9月19日付のアインシュタインから妻宛ての手紙には、はじめてリーゼルについての言及がある。だが、その後、誰ひとりアインシュタイン・リーゼル・マリッチの運命を知る者はない。
ミケーレ・ザックマンは著書の中で、リーゼルは誕生後、養子に出され、1903年9月に猩紅熱に感染して死亡したと結論づけている。
【6】妻と交わした奇妙な契約
アインシュタインとミレーヴァは結婚後、二人の息子ハンス(1904年生まれ)とエドゥアルト(1910年生まれ)を授かった。けれども、彼の学問的な成功─1921年にノーベル賞受賞─と、度重なる世界旅行のために、いつしか妻との間にはスキマ風が吹くようになる。ある時、この問題を解決しようと、彼は次の奇妙な「契約」を提案した。
A. あなたは以下の事項を承認します
1 私の服と洗濯物が良い状態におかれている。
2 私は自分の部屋で、定期的に3度の食事を受け取ります。
3 私のベッドルームと書斎は清潔な状態にあり、特に私の机は私以外の人間がふれてはなりません。
B. 社会的な理由から必要な場合をのぞいて、あなたは私との一切の人間関係を放棄します。
さらにまた、こんなものもあった。「私が要求した場合、あなたは私に話しかけてはなりません」。ミレーヴァはこれを粛々と受け入れた。後にアインシュタインは、この契約の追認を求める手紙を書いており、「(将来的には人間の)個人的な側面は小さな遺物に還元されなければならないのです」と妻に理解を求めている。そして彼は「その見返りに、私はあなたにすべての見知らぬ女性と同様の適切なふるまいを約束します」と誓っている。
それからずいぶんたって、彼は1つの名言を吐いた。「Everything should be as simple as it is, but not simpler.」=「あらゆるものはできるかぎりシンプルにすべきだ。でも、やり過ぎるとことを仕損じる」。ミレーヴァとのすったもんだから自ら学んだ、手痛い教訓なのかもしれない。
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