写真・新納翔
――現在、ギャラリーふげん社にて、2016年移転予定の築地市場を取材した写真展『築地0景』を開催中の写真家・新納翔。かつて7年間ドヤ街・山谷を撮り続けた彼が、写真展を記念して特別寄稿してくれた。
■そこは、パラダイス底辺
山谷、僅か約1.65k㎡程度の小さな区域に簡易宿泊所が密集する、大阪の釜ヶ崎、横浜の寿町に並んで日本三大ドヤ街のひとつ。ドヤとは宿(ヤド)とも呼べぬほど祖末なものであるという差別的な呼称であり、最近では簡易宿泊所、略してカンシュクなどと言うこともある。かつて日雇い労働者の街として知られた山谷も、時代の変化や高齢化によって、福祉の街へと変わり、今や「看護の街」とすら言われるようになった。私は写真家として、2006年から7年間、山谷で帳場の仕事をしながら移り行く山谷のあり様を見つめてきた。もちろんそこには厳しい現実もあるが、世間の抱く山谷へのイメージとは違う側面はあまり知られることはない。それは60年代に始まった山谷闘争という暗い歴史のイメージが強過ぎるからであろう。山谷にはかつての残り香と、時代の波に飲み込まれながらも右往左往する人達のドラマがある。それは、見方を変えればパラダイスでさえあるのだ。