今年は西暦1720年だったことが判明! 驚異の新説「ファントム時間仮説」が暴く“水増しされた”297年間とは!?
そしてもちろん、オットー3世はこの年代の改変に際して、あらゆる記録物の年代をつじつまが合うようにプロジェクトチームを結成して書き直させたという。つまりこれはオットー3世の謀略であり、歴史的陰謀論ということだ。
■ニーミエッツ教授「アラブ・東ローマ戦争があった事実を保証する歴史的記録はない」
イリグ氏がそもそもこの突拍子もないアイディアを思いついたのは、西暦614年から911年に作られたといわれる美術品や工芸品の数が少なく、時代を反映するはずの様式面から見ても、かなり“怪しい”点があることがきっかけであったという。そして10世紀のものといわれている時代のローマ建築の数々は、とても1千年以上経っているものには見えないという率直な実感もあるという。
このファントム時間仮説を提唱しているのはイリグ氏だけではない。ハンス・ウルリッヒ・ニーミエッツ教授は1995年に出版した自著『Did the Early Middle Ages Really Exist?』の中で「ヨーロッパの中世初期は存在しない」と結論づけている。
「古代(1世紀)とルネッサンス(1500年代)の間に、約300年分の多すぎる年代記が含まれています。言い換えれば、ローマ帝国の皇帝アウグストゥスは、2000年前の人物ではなく、1700年前の人物なのです」(ハンス・ウルリッヒ・ニーミエッツ教授)
そしてニーミエッツ教授もまた、イリグ氏と同じくユリウス暦からグレゴリオス暦への切り替えにも注目しているということだ。
イリグ氏が主張する“ファントム時間”である西暦614年から911年までの間は、たとえば東ローマ帝国とイスラム王朝勢が戦った「アラブ・東ローマ戦争」(約630‐約1050)があったとされるが、ニーミエッツ教授によればこの戦争があった事実を保証する歴史的記録はないということだ。
そしてもうひとつ、その時代に当てはまるのはローマ教皇の承認のもとで成立したフランク王国のカロリング朝(751‐987)の歴史だが、これもまた架空の大河ドラマのように丸ごと“創作”されたということになるのだろうか。もしそうだとすればあのカール大帝もまたフィクションの人物ということになる。
登場して25年以上が経つ“ファントム時間仮説”だが、発表当初から歴史学のメインストリームではほとんど支持を得られていないようだ。批判の根拠としては、614年から911年に起こった日食が記録されていて、日付も計算と一致するということである。しかし、計算できる事象であるということは、後からでも盛り込むことができるかもしれない。
日本では現行の西暦が明治時代に採用されたためこの話題には直接関係しないことになるが、西洋史がもし300年短いものであったとすれば、歴史の理解に大変革がもたらされるだろう。ファントム時間仮説に今後新たな展開があるのか気になるところだ。
参考:「Mysterious Universe」、ほか
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2024.10.02 20:00心霊今年は西暦1720年だったことが判明! 驚異の新説「ファントム時間仮説」が暴く“水増しされた”297年間とは!?のページです。仲田しんじ、中世、ローマ教皇、グレゴリウス歴、ヘリベルト・イリグ、ファントム時間仮説、古代ローマ帝国、西洋などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで