■作品を作るということと、殺めるということ
ーー撮影で留意した点はありますか? 自分なりのルールとか。
石川:作品を撮るために山に入ることはしないようにしていました。行こうと思えば、年に何回も行って、たくさん殺して、撮ることもできたんですけれど、できるだけそうはしたくないと思って。
ーーそれはどうしてですか?
石川:やっぱり、食べることは生きることと基本的に繋がってるわけだから、それを超えることはしたくなかったんですよ。たとえば、服部さんに「山に入るけど行く?」って誘われた時に行くようにするとか。あと、貧乏だから普段の生活で牛肉とか買うことがほとんどないんですよ。多分、年に1回もないと思う。だから、身が赤い肉を食べたくなった時に、服部さんに「食いたいっす、撮りに行きたいっす」って言って、一緒に山に行ったりとか。
そういう感じで、できるだけ自分の生活のなかで行くようにしていたから、回数はそんなに多くはないんです。年に2、3回。で、行ったら、獲れる時にはたくさん獲るんだけど、獲れるとは限らないし、2、3日で一頭獲れるか獲れないかみたいな時もある。服部さんは年中猟をしてるわけだから、「行こうよ」って言ってくれるし、頼めばもとっと獲ってくれるんだけど、自分のなかでは、作品を撮るために狩るっていうことはしたくなかったんですよね。
ーー一番苦労したことはなんですか?
石川:自分を納得させるのに一番苦労しましたよね。動物を殺してその内臓の写真を撮ってるわけだから、それを、自分がどういうふうに受け止めきれるんだろうって。動物を殺して、食べて、しかも写真に撮って人目に晒す。それをどうやって自分なりに受け止めればいいんだろう、っていうのが一番大変でした。
ーー葛藤は残りますよね。作品作りのためだからといって、どんなことでも許されるわけでもないでしょうし。
石川:でも、後からだけど、やっぱりその時々の自分のなかでの理性じゃないけど、そういうことに従ってよかったなって思う部分ではありました。作品のために写真を撮りに行くとか、何かを起こすっていうことはそもそも好きじゃないし、あんまりよくないっていうか、『いのちのうちがわ』も、その延長でやっていたから。
それに、命を頂いて繋がっているということって、「動物じゃなかったら食べていいの?」「草だったらOK?」とか、そういうことじゃないっていうか。「肉だって食べていいでしょ」って思うし、そのためにはやっぱり殺すわけで、じゃあそれとどう向き合えるのか? っていうことが、人間だと思うから。
ーー確かに。野生動物じゃなくて、人間ですからね。
石川:山の動物なんてもっと凄いですからね。でも、家畜を食べてるよりまだましかなって思ったりするんですけれど。まあ、それでも食べますけど。それでも食べるけど、でも、普段食べているものが何であるかっていう感覚を、スーパーに並んでるものじゃなく、肉も魚も、自分でちゃんと殺して食べることで自分なりに感じられたことが、僕には大切なんですよ。スーパーで買う肉と、山に行って服部さんと分けた肉とのとの違い。いまでもコーラもハンバーガーも好きだし、ポテトチップスばっかり食べるし、食の好みが変わったわけではないんだけれど、それを食べる時の気持ちはは大分変わったと思う。