■会社を辞めるために写真家になった
ーーちょっと話をさかのぼって、甲斐さんはどういう経緯で写真家に? 大学では海洋建築工学というかなりマニアックな分野を専攻されていたと聞いているのですが。
甲斐:大学生の時に、海洋構造物やウォーターフロントまわりの都市計画で、そこに何かを建てた時にどういう風景が広がるのかを想定するために写真を撮る、っていう課題が出たことがあったんです。それで、友達に借りたカメラでなんとなしに撮った写真を教授に見せたらすごく褒めてくれて、「写真は楽しい」って思ってしまった。そこからカメラを持ち歩いて写真を撮り始めたんですよ。
卒業後は専攻に関係する企業に3年勤めたんだけれど、辞めたくなってしまった。でも、辞める理由が見つからなかったんですよね。それで、写真家になるために写真学校に通うことを口実にしたんです。だから、どちらかというと消去法で写真を選んだ感じですね。
ーー写真学校を卒業してすぐカメラマンに?
甲斐:3年くらいはフリーターをしながら自分の好きなスポーツ写真だけを撮っていました。そうこうするうちに30歳が見えてきたから「営業しなきゃ」って思って、撮りためた写真を持って最初に行ったのが『Number』の編集部だったんです。
ーースポーツカメラマンにとって『Number』は特別な雑誌だったようですね。
甲斐:やっぱり格好よかったんですよね。ずっと『Number』で仕事をしたいと思っていたから、電話をしたら編集者が会ってくれて、翌日採用された。あの時は嬉しかったですね。そこからはスポーツ写真メインでやってきました。
ーーなるほど。それでフットボール、サッカーの原初の形態を見にイングランドに行った。そして、そこで感じた人間の本性、そのありように圧倒されたことが「綺羅の晴れ着」へと繋がっていったわけですね。