写真家・甲斐啓二郎さんの写真展「綺羅の晴れ着 Clothed in Sunny Finery」が東京・東神田のkanzan galleryで開催中だ。
長きにわたるスポーツカメラマンのキャリアで培った撮影スキルをフルに生かし、荒れ狂う祭りの渦に巻き込まれるながら切り取られた写真は密! 密!! 密!!! 男たちの激しい吐息、溢れ出る汗、立ち上る蒸気と体臭が渾然一体となって観る者の網膜に浸潤してくる。
新型コロナのパンデミックからおよそ1年半が経過し、いまだ収束の時期は見えない。そんな今、甲斐さんの捉えた写真の中の裸の男たちは神々しく輝いて見える。
「綺羅の晴れ着 Clothed in Sunny Finery」が生まれた経緯、撮影の中でレンズの向こうに見てきたことについて、話をうかがった。
■裸の男たちが発する命の光
ーー甲斐さんの作品は、写真集『手負いの熊』や『骨の髄』といったように、どれもタイトルが独特で冴えていますね。
甲斐:タイトルはいつもすごく考えます。起きている時はずっと考えているくらい。タイトルを決めるさいは、慣用句的な言葉を使うことと、その土地の歴史や伝承を参照することが多いです。
たとえば『手負いの熊』は長野県の野沢温泉の祭りを撮ったものなのですが、土地の歴史を調べていて「手負いの熊を追いかけて行ったら温泉が見つかった」という文章を見つけたんです。「手負いの熊は手が付けられない」とか言いますよね。僕の写真の中の男たちの荒々しいイメージと温泉が発見された由来が強く繋がって、これをタイトルにしようと。
甲斐:『骨の髄』は秋田県の祭りがヒントになっています。そこは湧水が豊富な土地だから、にじみ出るようなイメージの言葉がいい、というのがまずはありました。それと祭りで使う竹が骨のように見えたんです。「骨」っていうキーワードとにじみ出るようなイメージ持つ慣用句を探していたら「骨の髄まで」っていう言葉に行き当たったんです。
ーー「骨」は身体を形づくる柱であって内部には髄液が流れていますよね。そのイメージが写真のニュアンスとバッチリ合っていると思いました。今回の写真展「綺羅の晴れ着 Clothed in Sunny Finery」はどういった由来から?
甲斐:「常常綺羅の晴れ着なし」っていう慣用句があって、いつも綺麗な服を着ている人は本当に大事な場面で着る服がない、つまり、限度をわきまえない人を指す言葉なんです。僕の写真に写っているのは限度をわきまえない人たちだし、「晴れ着なし」っていうのが裸祭りの様子を逆説的に示している。それが面白いと思ってタイトルにしました。
ーー「綺羅の晴れ着」はどこの祭りを撮ったものなんですか?
甲斐:岡山県の西大寺会陽、三重県のざるやぶり神事、岩手県の黒石寺蘇民祭、そして、群馬県のやっさ祭り。4つの祭りを撮った写真で構成しています。どれも裸祭りで、それぞれ、たとえば御神木のような何かを奪い合う点が共通しています。