■コロナ渦の渦中でこそ輝く写真の中の男たち
ーー「綺羅の晴れ着」の撮影を始めたのはいつ頃からですか?
甲斐:2012年にShrove Tuesdayに行ってから2019年まで断続的に撮ってきました。コロナ禍になった去年と今年は撮影できませんでした。
ーーその前年に東日本大震災と原発事故があったわけですが、甲斐さんの言う「人間の根源的な部分」に対する関心から祭りを撮り始めたことと関係があると思いますか?
甲斐:僕は天才じゃないから、関係はないと思います。天才はちゃんと狙って撮れる人で、そういう人はいると思う。でも、僕は狙い打ちもできないし自分が撮った物の中からインスピレーションを得るタイプ。ただ、写真を選ぶ時に、その時に置かれた状況とかがなにかしら無意識に関係している部分はあるんでしょうね。
ーー「綺羅の晴れ着」を初めとする甲斐さんの作品はコロナ禍の中でこそ、よりインパクトが増すのだと思います。「ソーシャルディスタンス」のようなパンデミック以降に生まれた行動様式とは真逆の、人間の肉体と肉体が裸でぶつかり合う、徹底した「密」の現場、身体が発する熱、一瞬の輝きを撮ってきたわけですから。撮影者として、コロナ禍以前と以降で作品の見え方は変わりましたか?
甲斐:僕らは今100年に1度あるかないかの特殊な状況に陥っていて、強烈な経験をしているわけだから、全く変わらないかわけはないですよね。この群衆を生で見ることは、今となっては叶わない状況だから、見え方も変わります。自分は撮り手でありながら観る側でもある。僕の場合、自分ががむしゃらに撮った写真を見ることからさまざまなインスピレーションを得るタイプだから、撮ることと同じくらい見ることに重きを置いています。だから、お客さんが見るのと僕の見るのとであまり差はないと思います。