万物に霊魂が宿る「汎心論」が科学会の常識に!「ミトコンドリアは社会的生物」
万物に霊魂が宿る「汎心論」が科学会の常識に!「ミトコンドリアは社会的生物」学者断言、そもそも意識とは?
米ニューヨーク大学の哲学者ルーク・ルーロフス氏によると、こうした汎心論の利点は、意識と物質の連続性を示唆できる点だという。
「ある種の意識があまりにも単純で、実際には『心を持たないもの』として扱ったほうが便利だとしても、その違いは結局のところ、程度の問題にすぎないということです」(ルーロフス氏)
しかし、物質を積み重ねて意識が出てこなかったからと言って、意識の断片を積み重ねれば人間の意識は生まれるとそう簡単に説明できるものでもない。あくまで、連続性が確保できるというのが汎心論の利点である。
そのため、「Salon」は汎心論に悲観的な見方をしている。
「最終的に汎心論が有効かどうかを決定的に確認することは不可能かもしれない。結局、視覚的あるいは物理的に意識を識別する方法がなければ、無生物に初歩的な『意識』があるかどうかを正確に言うことはできない」
ところで、そもそも意識なるものが実在するかどうかも疑わしい。科学者や哲学者は実体のない幻想を追いかけているのではないだろうか? 「Salon」はそこまで言っていないが、「視覚的あるいは物理的に意識を識別する方法」が存在しないのだから、無生物どころか、動物や人間の意識を識別することさえ実は不可能ではないだろうか? 多くの場合、他人は楽しい、悲しい、興奮する、退屈するといった感情や、音楽を聴いたり、美味しいものを食べたり、映画を見たり、恋をしたりする時などに主観的な経験を持つと思ってしまうが、これは計り知れるものではない。他人が楽しそうな表情をしたり、ものを食べて「おいしい」と言うから、彼らにも主観的な経験があると判断されるが、実際の心のうちは分からない。非常に複雑で人間と寸分違わない見た目と言動のアンドロイドがいたら、彼らにも意識があると判断されるだろう。そんな完璧なアンドロイドが作れるかどうかは技術的な問題であり、思考実験としては成り立つ。
実際のところ意識の唯一のソースは自分自身の内的体験でしかない。唯一の実例であるから、他のものと比較することができないにもかかわらず、我々は意識なるものが他人にもあるように思い込んでしまう。そう考えると、意識の存在を前提にしている汎心論も成功の見込みはないかもしれない。
参考:「Salon」、ほか
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2024.10.02 20:00心霊万物に霊魂が宿る「汎心論」が科学会の常識に!「ミトコンドリアは社会的生物」学者断言、そもそも意識とは?のページです。パンサイキズム、汎心論、二元論などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで