闇に葬られた「日航ジャンボ機UFO遭遇事件(1986)」とは? パイロットの手記「2機のUFOに付きまとわれ…」

 1986年、日本航空の貨物機がフランス産のボジョレーヌーボーを大量輸送するために、パリから東京へと向かっている最中、米アラスカ州上空にて奇妙な光に出くわした。この事件は「日航ジャンボ機UFO遭遇事件」として大きく報じられたものの、間もなくして機長の目の錯覚であったと伝えられ、長いあいだ人々の記憶から忘れ去られていた。もちろんその背景には、CIAや米政府による隠蔽工作があった可能性も否めない。

 そして近年、すでに廃棄されたものだと思われていた本事件に関する大量の秘密文書が公開され、再び話題に。米連邦航空局が作成した飛行記録やレーダーの記録、関係者の証言やインタビュー、当時の報道の様子などさまざまな情報を含む報告書のコピーが、米国立公文書記録管理局に保管されていたのだ。

 なかでもとりわけ目を引くのは、目撃者であるパイロット・寺内謙寿さんによる直筆イラストや「未知との出会」と題された手記だろう。本稿ではこれらの資料をもとに、約50分間の出来事であったというUFOとの遭遇について解説していく。報告書のコピーの存在が明らかになった2018年の記事を再掲する。

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※ こちらの記事は2018年10月8日の記事を再掲しています。

 1986年11月17日、日本航空の貨物機が米アラスカ州上空でUFOと遭遇する事件があった。日本のみならず米国でも大きく報じられたものの、目の錯覚として片付けられて長く忘れられていた本事件だが、最近になって米連邦航空局(FAA)が作成した大量の報告書がインターネット上に公開され、大きな話題となっている。

闇に葬られた「日航ジャンボ機UFO遭遇事件(1986)」とは? パイロットの手記「2機のUFOに付きまとわれ…」の画像1
日本航空のボーイング747-246F型機。画像は「Wikipedia」より引用

 9月21日、政府機関に対しUFOやCIAの秘密計画などについての情報開示を求めるウェブサイト「The Black Vault」に、新たな文書が掲載された。それは1986年にアラスカで起きた、いわゆる「日航ジャンボ機UFO遭遇事件」についてFAAが作成した1569ページにも及ぶ秘密文書である。これらの報告書の存在は「ディスクロージャープロジェクト」により2001年には明らかになっていたのだが、すでに廃棄されたとしてその内容の全貌は不明なままだった。だが、それから17年経った今年、米国立公文書記録管理局にそのコピーが存在することが明らかとなったのである。

 The Black Vaultのサイトから、今回発見されたファイルをダウンロードできる。飛行記録やレーダーの記録はもちろん、関係者の証言やインタビュー、当時の報道の様子などさまざまな情報が含まれている。

 そのなかでも興味深いのは、事件の目撃者であるパイロット・寺内謙寿さんの直筆のイラストや「未来との出会」と題された手記であろう。上記サイトのファイル一覧のうち「Written Statement by Capt. Terauchi [In Japanese]」というタイトルで掲載されているPDFがそれに当たる。このファイルを元に、改めて本事件をご紹介しよう。

闇に葬られた「日航ジャンボ機UFO遭遇事件(1986)」とは? パイロットの手記「2機のUFOに付きまとわれ…」の画像2
画像は「The Black Vault」より引用

日航ジャンボ機UFO遭遇事件

 1986年11月17日。JAL1628便(日本航空のボーイング747-246F貨物機)はフランス産のボジョレーヌーボーの大量輸送という任務を帯びてパリを飛び立ち、東京へと向かって、アラスカ上空を高度10600mを時速900~910kmほどで飛行していた。現地時間午後5時5分ごろ、アンカレッジの管制塔とコンタクトを取った直後、航空機は奇妙な光と遭遇する。

 それは航空機の左30度前方、下方600mほどの場所を飛行していた。最初は軍用機か何かだと思い、機長の寺内さんもあまり気に留めていなかったというが、いつになっても位置を変えないことが気にかかり、ついに管制塔に問い合わせた。だが、管制塔からの返答はJAL1628便以外に機影はないというものであった。

 その日は雲もあまりなく、気流も安定していた。寺内さんたちコックピットクルー3人は、左前下方を行く2つの灯火を見守っていたが、やがてその動きがじゃれあうかのように動き出したという。そのころには寺内さんも「UFOかもしれない」と思い始め、持っていたカメラで写真を撮ろうとした。だが、カメラはレンズの伸縮を繰り返し、ボタンを押してもシャッターが切れないなどの異常を示し、結局撮影を諦めたそうだ。

 それからしばらくして、航空機の前方に突如として2機のUFOが現れたという。その様子を、寺内さんは手記の中で次のように記述している。

「突然、全く突然に、我々の顔面に2隻の宇宙船が静止して、さかんに光をはなっている。コックピットの中も明るくなるし、顔も少々ほてる感じがする。高速移動したため、その慣性を殺すための噴射なのか、眼前の一点に静止したまま見事に動かない」

 やがて寺内さんは、目の前でまばゆく光る物体に大量の排気孔があるのに気付いた。しかしエンジン部分は見えなかったという。バランスを保つためか、排気孔からの噴射は強くなったり弱くなったりしていたそうだ。

闇に葬られた「日航ジャンボ機UFO遭遇事件(1986)」とは? パイロットの手記「2機のUFOに付きまとわれ…」の画像3
画像は「The Black Vault」より引用

 意外なことに、危険や恐怖は全く感じなかったという。UFOは3~5分ほどすると、左方40度前方の上方へと移動していった。この時の感想を「あっけにとられた」と寺内さんは手記に書いている。この件は管制塔には報告しなかったという。

 UFOが飛び去った方向に、再び淡い白い光が連なって現れた。管制塔にも問い合わせたが、レーダーには何も映っていないという。寺内さんは無理だろうとは思いつつ、機上用レーダーをその方向に向けた。すると、スクリーンに巨大な真ん丸な物体が現れたという。再度管制塔に問い合わせたが、やはりレーダーには何も映っていないという。

 UFOはそのまま寺内さんたちの航空機の後方上空を付きまとうように飛行していた。暗くて目視では観測できなかったが、街と基地の明かりが近づいてきた頃、寺内さんはついに巨大なUFOを目撃する。その様子も寺内さんはイラストに描いている。

闇に葬られた「日航ジャンボ機UFO遭遇事件(1986)」とは? パイロットの手記「2機のUFOに付きまとわれ…」の画像4
画像は「The Black Vault」より引用

 さすがに恐怖を感じたのか、寺内さんは逃げようとするが、UFOはぴったりと追尾してくる。管制塔も異常を察知し、状況の確認を要求してきた。その間にもUFOは航空機にどんどん近づいてくる。そして真横まで来た瞬間、それまで定位置にいたUFOは一瞬の間に消え去ったという。約50分間の出来事であった。

「最後の幕切れは、作り話よりはるかにうまい具合に終わりを告げたわけであるが、今回の宇宙船のフライトは、目的がわからないため不安にはなったが、一切、危険を感じることはなかったのです」

 寺内さんは手記の中で、自らの体験をこのように総括している。

 この後、本事件は内外のマスコミにも大きく取り上げられることとなったが、やがて機長の目の錯覚とされ、ディスクロージャープロジェクトによる再評価まで忘れ去られることとなったのである。だがその背後に、CIAや米政府による隠蔽工作があった可能性は高い。

 JAL1628便をつけまわしたUFOは一体何だったのか? 寺内さんは手記の最後を次のように結んでいる。

「私は人間が5百年か千年後か遠い将来に、いずれは彼等と出会い、必ず確認されることを願って、ここに11月17日の出会いを記録いたしました」

 だが、寺内さんの願いもむなしく、事件の記録も証言も闇に葬られた。今回このような形でも表に出たことは僥倖であろう。この情報公開をもって、事件の解明が進むことを期待したい。


参考:「The Black Vault」、ほか

TOCANA編集部

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