死後7日、布の下から遺体が消えていた!? チベット僧ケンポ・アチョの「虹の身体」とは

高僧の死にまつわる不思議な話は、洋の東西を問わず数多く語り継がれてきた。だが、チベットの僧ケンポ・アチョの最期をめぐる証言は、その中でも際立っている。
仲間たちが黄色い衣で包んだ遺体は、日を追うごとに布の下で小さくなっていき、やがて衣を取り払うと、そこには何も残っていなかったというのだ。この話に心を動かされ、はるばる東チベットまで足を運んだのは、カトリックの司祭だった。
修行の果てに肉体が光へ還る「虹の身体」
ケンポ・アチョを知る人々は、彼の死をチベット仏教に伝わる「虹の身体」の伝統に照らして受け止めた。チベット語で「ジャリュ」と呼ばれるもので、ゾクチェンの教えでは、悟りを深めた修行者の肉体が死に際して全部、あるいは一部が光へと溶け去るとされる。
研究者のマイケル・シーヒー氏によれば、この伝統では肉体は地・水・火・風・空の五つの要素から成ると考えられている。死によってそれらがほどけることは、本来の輝きへの回帰とも解釈でき、虹の身体はその変容が目に見える形で現れたものだという。
伝えられる様子はさまざまだ。遺体が大きく縮んだという話もあれば、髪と爪だけを残してほぼ消えたという話もある。死の前後に芳香が漂ったり、虹が架かったりしたという記録もあり、伝統の内側ではいずれも修行者の到達を示すしるしとされてきた。
もっとも、これは奇跡の見世物ではない。虹の身体は、心の本性をめぐる教えと、生涯をかけた修行の延長線上に位置づけられているのだ。
庵の上に架かった虹と、7日後に消えた遺体
この話を追ったのが、カトリック司祭でありチベット仏教の研究者でもあるフランシス・V・ティソ氏だ。彼は東チベットを訪れ、ケンポ・アチョを知る人々から話を聞いた。
2002年の調査報告によれば、取材相手は甥のラマ・ノルタ、若い弟子のソナム・ギャムツォ、そして修行仲間のラマ・アチョの3人。彼らは、死の前に庵の上空に虹が現れ、死後にも幾筋もの虹が見えたと証言した。
さらに、衣をかけた遺体が数日かけて縮んでいくのを目にし、7日目に布を外したときには遺体がなくなっていたと語ったという。ただし、ティソ氏が現地入りしたのは出来事の後であり、これらはあくまで目撃者たちの証言である。
なお、ケンポ・アチョの生没年はシーヒー氏や2002年の報告では1918〜1998年とされる一方、ティソ氏の著書の出版社による紹介文では没年が1999年となっている。
司祭が見つめた「証言の背後にある共同体」
ティソ氏の調査は、2016年刊行の著書『Rainbow Body and Resurrection』にまとめられた。同書は目撃者へのインタビューやフィールドノートをもとに、キリスト教の復活の伝承との比較にまで踏み込んでいる。
彼は2018年に『Journal of Religion and Health』誌(オンライン版)で発表した論文で、超常的な主張を調べるにはその社会的背景に目を向ける必要があると論じた。尊敬された人物の死には、親族、弟子、修行仲間がそれぞれの関係性をもって立ち会うからだ。
後のインタビューでもティソ氏は、ケンポ・アチョを取り巻く人々の存在を強調している。人々にとってあの最期は、僧が生涯をかけて体現してきたものを裏づける出来事だったというのである。
一方、宗教学者のM・マリア・トゥレク氏は書評で、僧を取り巻く人間関係や聞き取りの記録・解釈の方法について、より詳しい説明を求めた。光をめぐる言葉が二つの宗教で似ていても、それだけでは個々の出来事がどう起きたのかまでは説明できない。
それでも、山深い庵で弟子たちが見たという虹と、空になった衣の話は、遠く離れたカトリックの司祭を現地へと動かした。人の肉体は、本当に光へ還ることがあるのか。誰も確かめきれていない以上、そう信じた弟子たちの証言を、ただの思い込みと片づけてしまうのは少し惜しい気がする。
参考:Curiosmos、ほか
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2024.10.02 20:00心霊死後7日、布の下から遺体が消えていた!? チベット僧ケンポ・アチョの「虹の身体」とはのページです。チベット仏教、チベット、僧侶、虹の身体などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで

