【聖櫃】”失われたアーク”は失われていなかった? たった一人の修道士だけが見られる聖なる「契約の箱」

“失われたアーク”は失われてなどいなかった――。神がモーセに授けた「十戒の石板」を奉納した聖なる「契約の箱」は誰もが目にすることができる建物の中に、今も平然と安置されているという。
■「契約の箱」の在り処は公然の秘密なのか!?
『旧約聖書』の「出エジプト記」に登場する聖櫃(せいひつ)は、別名「契約の箱」や「アーク(Ark of the Covenant)」とも呼ばれ、神がモーセに授けた2枚の「十戒の石板」、「金の壺」、「アロンの杖」が収められた聖なる箱である。
エチオピアの古代都市アクサムにある「聖母マリア・オブ・シオン教会」に隣接する柵で囲まれた小さな聖域があり、そこは「聖櫃の礼拝堂(The Chapel of the Tablet)」と呼ばれている。地球上の誰一人として立ち入りを禁じられているその聖域だが、ただ一人、その内部の物品を終身で守るために任命された孤独な修道士だけは例外である。


信者たちによれば、彼は歴史上最も神聖で、最も切望されている聖遺物の一つである「契約の箱」と呼ばれる聖櫃を守っているという。
ヘブライ語聖書では「契約の箱」は詳細に描写されている。アカシア材で作られた長方形の箱で、内側も外側も金で覆われており、長さ約120センチ、幅約60センチ、高さ約60センチで、翼を広げた2体の金のケルビム(天使像)が頂上に飾られている。
地上における神の玉座としてシナイ山で作られた「契約の箱」はイスラエル人を荒野へと導き、敵軍を打ち破り、最終的にはエルサレムのソロモン王の神殿のメインを飾る至宝となった。しかし紀元前586年のバビロニアによるエルサレム破壊以降、「契約の箱」は聖書の記録から跡形もなく消え去ってしまった。「契約の箱」は侵略者に強奪されてしまったのか。
何千年もの間、この一件は尽きることのない考古学的探求、陰謀論、そして1981年の映画『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』のようなポップカルチャーの金字塔を生み出してきた。しかし14世紀のエチオピアの国民的叙事詩である『ケブラ・ナガスト(王たちの栄光)』によれば、聖櫃はそもそも失われたことはなかった。約3000年前にソロモン王とマケダ(シバの女王)の息子であるメネリク1世によってエルサレムから密かに持ち出されたのだという。
叙事詩によると、メネリクはエチオピアで育ち、20代前半に父ソロモンに会うためにエルサレムへ旅立った。ソロモンはやって来た若者がすぐに自分の息子であると理解した。息子は祖父であるダビデ王に瓜二つだったのだ。ソロモンは寵愛する息子に、イスラエルに留まり王位を継承するよう懇願した。
しかしメネリクは母の王国を統治するために帰国することを強く主張した。ソロモンは渋々同意したが、一つ条件をつけた。エルサレムの最高位の貴族、祭司、軍司令官の長男たちがメネリクに同行して新たな王宮を作り、エチオピアに「第二のイスラエル」を建国するよう命じたのだ。
急遽エジプト行きを命じられた若きエリートたちは神と共にあるために、旅立つ前に聖櫃を盗み出す内部犯行を企てた。この強盗計画を首謀したのは、大祭司ザドクの息子アザリアだった。夢の中で天使の啓示を受けたアザリアは「契約の箱」の精巧な木製レプリカを用意し、夜陰に紛れて仲間と共に神殿に忍び込み、本物の「契約の箱」を偽物とすり替えて持ち出したのだ。そしてその翌日、一行はエジプトへと旅立つことになる。
エジプトにキリスト教が伝わるまでにはまだ数世紀を要したため、言い伝えによれば聖遺物はまずエチオピアのタナ湖に浮かぶ孤島「タナ・キルコス」に保管され、そこで司祭たちが800年間守護した。そして西暦340年頃、アクサム王国のエザナ王がキリスト教に改宗した際、聖櫃はアクサムに新しく建てられた「聖母マリア・シオン教会」に移され、古代イスラエルの契約とエチオピアのキリスト教が永久に結びつけられることになったのだ。
何世紀にもわたり、10世紀のグディット女王の軍勢や16世紀の壊滅的なアダル戦争など、侵略者がアクサムを脅かすたびに、修道士たちは聖櫃を山岳要塞や島の避難所に運び出し、大聖堂が再建されるまで保管した。
1960年代には、ハイレ・セラシエ皇帝の妻であるメネン・アスファウ皇后が、教会に隣接する「聖櫃の礼拝堂」の建設資金を提供した。地元の修道院の伝承によると、聖櫃から放射される神聖な“熱”が、以前の聖堂の古い石壁にひび割れを生じさせていたため、聖櫃を別の保管場所へ移す必要があったという。
エチオピア正教会は、学者、考古学者、さらには教会の総主教でさえも、この聖遺物を見ることを禁じているため、その真偽を科学的に検証することは不可能である。
近代史において、この聖遺物を見たという部外者はただ一人しかいない。1941年、イギリス陸軍将校のエドワード・ウレンドルフ(後にエチオピア研究の著名な教授となる)は、軍人としての影響力と古典ゲエズ語の流暢さを利用して「聖櫃の礼拝堂」への潜入に成功したとされている。1992年のインタビューで、ウレンドルフは、自分が見た箱は「契約の箱」などではなく「中世中期から後期の工芸物」だと主張した。
しかしエチオピア当局者や歴史家はウレンドルフの言及には重大な欠陥があると指摘した。エチオピアのすべての教会には、儀式用にタボットと呼ばれる契約の箱のレプリカが保管されているのだ。ウレンドルフは単にタボットを見ただけだった可能性もあるのだ。
だとすれば“失われたアーク”は失われてはおらず、実在する礼拝堂に保管されていることになる。しかしそれを見るにはまずは教会の修道士になって、そのうえさらに聖櫃の管理責任者にならなければならないようだ。
参考:「Popular Mechanics」ほか
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