• このエントリーをはてなブックマークに追加
  • コメント0
関連キーワード:

心霊

,

怪異

,

白神じゅりこ

■名優・高倉健の死

81JEs-WhlYL._SL1500_.jpg
画像は、『八甲田山 特別愛蔵版』(株式会社スバック)より

 日本の映画界からまた一つ星が消えた……。

 2014年11月10日、銀幕の大スター高倉健が、悪性リンパ腫のため都内の病院で死去した。83歳だった。「健さん」の愛称で親しまれた高倉健。「不器用ですから」という有名な台詞のように、無口だけれども心は温かく一途な日本の男を演じ続けていた。1955年に地元の福岡から上京。その後、男前な風貌が映画プロデューサーの目に止まり、東映ニューフェースとして東映に入社した。演技経験もない無名の俳優だったが、さまざまな映画に出演し、『網走番外地シリーズ』『昭和残侠伝シリーズ』などの任侠映画への出演で大スターの地位を築いた。


■重大な作品『八甲田山』

 45歳の時、彼は大きな決意をした。それまで在籍していた東映を辞め、俳優として築き上げた地位を捨て独立したのだった。ヤクザ者ばかり演じ続けていても、自身の成長はない! そう思い、彼は新天地を求めたのだ。

 そして、彼にとって運命的とも言える一本の映画の出演依頼が舞い込んだ。映画『八甲田山』……それは、旧陸軍の雪山での遭難事故を描いた歴史超大作であった。

 これは、零下30度の雪山という極寒の山中で、3年かけて撮影が行われるという超過酷な現場でもあった。高倉健は俳優として生まれ変わるために、この作品に人生のすべてを懸けたのだった。ほかの仕事をすべて断ってこの映画に懸けたため、次第にお金も尽きてくる。彼は高級車やマンションを手放さざるを得なくなった。

 そんななかで撮影した映画で、高倉健が演じる徳島大尉が、部下を率いて雪中行軍の果てに命尽きた北大路欣也演じる神田大尉の遺体を前に号泣する姿は圧巻。命がけでこの撮影に挑んだ自身の心境と重なったのであろうか。

 1977年に公開された『八甲田山』は、大ヒットを記録。高倉健はその翌年、『八甲田山』『幸せの黄色いハンカチ』で第1回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞と第20回ブルーリボン賞の主演男優賞のダブル受賞を果たした。その後も数々のヒット作に主演し、俳優としての新境地を開くことに見事に成功したのだった。


■『八甲田山』の怪異 半狂乱になる兵士たち

 高倉健がこれほどまでにのめり込んだ『八甲田山』という作品の背景は、一体どのようなものであったか?

 明治35年1月、世界山岳史上最大とも言われる遭難事件の悲劇が八甲田山で起きた。

 当時の日本は、ロシアと緊迫した状況で、迫りくるロシアとの戦争に備え、シベリアを想定した寒地作戦の一環として、八甲田山での「雪中行軍」を行うこととなったのだ。日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊は青森連隊駐屯地を出発し、八甲田連峰に入った。しばらくは何の障害もなく進むことができた。だが、突然天候が悪化。猛烈な吹雪と寒波に襲われ、連隊は迷走。ついに、進路を失ってしまう。

 寒さと疲労のあまり、バタバタと倒れて絶命していく兵士たち。雪の中で全裸になる者、半狂乱になって凍てつく川に飛び込む者、尿意をもよおすも手が凍傷にかかって動かせずそのまま小便を垂れ流して凍りつき凍死する者……遭難中はまさに地獄の様相であったという。

 そして、訓練参加者のうち210人中、199人もの尊い命が奪われ、連隊はほぼ全滅したのだった。わずかに生き残った11名のうち7名は、重度の凍傷のため、手足を切断した。

 

関連キーワード

コメントする

お名前
コメント
画像認証
※名前は空欄でもコメントできます。
※誹謗中傷、プライバシー侵害などの違法性の高いコメントは予告なしに削除・非表示にする場合がございます。