【憑依・生首・UFO】割腹自殺から45年…、三島由紀夫は生きていた!!
■壮絶な自決から45年
1970年11月25日、作家・三島由紀夫が仲間の学生「楯の会」のメンバーと共に自衛隊の市ヶ谷駐屯地において東部方面総監を人質に立てこもった。彼は、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけたが失敗。その後、「天皇陛下万歳!」と叫んで割腹自殺を遂げた。介錯が施されて、転がった三島の生首は新聞に掲載され、夕方のテレビのニュースでお茶の間に流された。日本を代表する作家の衝撃的な自殺は、高度成長期で豊かになり、平和ボケした日本人に衝撃を与えたのだ。あれから、45年……衝撃度の高さから、事件が人々の記憶から消え去ることはない。
彼はなぜ、自らの命を断つ必要があったのだろうか? その謎の死には、不可解な恐ろしい話がまとわりついている……。
■英霊たちに憑依されていた?
三島と親交が深かった美輪明宏が、南無の会の法話の中で不思議な話を語っている。
正月、三島由紀夫の家に遊びに行った時に美輪は、三島の背後に緑色の深い影が取り憑いているのを感じたという。その影は帽子を被り、赤い腕章をしていたため、美輪は将校だと正体を悟ったそうだ。すぐさま美輪は三島にそのことを告げ、「その人物に心当たりがないかどうか、名前を言ってごらんなさい」と三島に話した。憑依霊は名前を当てれば、とり憑いた主から消えるためだ。三島はいろいろと名前を上げたが、霊は一向に消えない。だが、「磯辺か?」と言ったとたん、ぱっと消えたという。
「磯部」とは、二・二六事件の首謀者である青年将校・磯部浅一のことだった。二・二六事件とは、1936年2月26日から2月29日にかけて陸軍皇道派の青年将校によって起こされたクーデター未遂事件だ。事件を指導したとされる磯部は、無念のうちに処刑されたのだった。
美輪は「あなた! こんなものに憑かれていたら、ろくな目に遭わないわ!」と叫んだという。
また三島には「取り憑かれている」ということに、思い当たる節があったそうだ。三島は、磯部が獄中で記した『獄中日記』に影響されて、小説『英霊の声』を執筆した。その際、夜中に頭が眠っているのに手が勝手に動いてしまう体験をし、出来上がったものを見るとどうも自分の文章ではないような気がしたという。また三島は書き終えた後、まるで精気を絞り取られたかのように、げっそりとやつれてしまっていたとも伝わる。
磯辺に気持ちを傾けているうちに、その霊と一体化してしまったのであろうか?
三島は「取ってくれ」と美輪に懇願したが、さすがの美輪も手に負えない悪霊だった。そこで、尋常ならざる神通力を持った聖人に祓ってもうらうよう美輪は手配した。だが、奇妙なことに行き違いばかりが生じ、聖人と三島を会わせることができない。どうやら霊が邪魔をしているらしい。そして、ついにあの悲惨な事件が起きてしまったのだという。
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