警察が態度急変→精神病院に強制入院?UFOコンタクティー、ラインホルト・シュミット事件の真実とは?
彼らは着衣の上からシュミットの身体を検査し、それが終わると再び動けるようになった。さらに2人の男たちは、この機体が何か答えるわけにはいかないとしつつも、シュミットを内部に招いてくれる。するとそこには、さらに2人の男と2人の女がおり、何かの修理作業をしているようだった。彼らはドイツ語訛りの英語を話し、床を滑るように移動していたという。やがて修理が終わると、この機体は飛び去ってしまった。
シュミットはこの飛行物体について、第二次世界対戦時にソ連に連れ去られたドイツ人科学者が運転していると考え、すぐに警察に駆け込んだ。すると警察には、不思議な飛行物体を見たという報告が何件も寄せられているという話だった。シュミットは、警察署長や地方検事、新聞記者を伴って事件現場を訪れ、地面の窪みと油の跡を確認。窪みの大きさから、物体の長さは約30m、幅は9mほどと推定された。
ところが、警察の態度が急変したのはこの直後だった。シュミットは突然、不可解な窃盗容疑で逮捕されてしまったのだ。翌日、その証拠として地方検事が持ち込んだのは、2つのエンジン・オイルの缶だった。検事によれば、それらの缶は事件現場からわずか数mの場所にあったもので、しかもその2缶と連続する製造番号の缶が、シュミットの車のトランクからも発見されたというのだ。もちろんシュミットにとってまったく身に覚えのないことで、缶の指紋を調べるよう申し出たのだが、なぜかこの要求は拒否されてしまう。そしてシュミットがでっち上げの容疑を否認すると、彼らはなぜかシュミットを精神病院に強制入院させたというのだ。結局、シュミットはすぐに退院でき、また穀物買付けの仕事に戻ったという。
そして翌年、1958年の2月5日、シュミットがカーネイから30kmばかり離れた畑を視察に出かけた際、またしても彼は同じ物体が舞い降りてくるのを見てしまう。この時のシュミットは、物体に乗り込んで飛行したと述べている。また彼は、この時以来、謎の物体を宇宙船、乗員のことを宇宙人と呼ぶようになった。さらに同じ年の8月14日、シュミットは再び宇宙船に同乗し、北極圏を飛行したばかりか、氷の下にも潜水してきたという。
アダムスキーやシュミットに限らず、多くのコンタクティーの証言は、時を経るに従って内容が拡大していく傾向が見られるのも事実だ。またUFO研究家の中にも、こうしたコンタクト・ストーリーをすべて否定する者がいる。しかし、その内容を丹念に調べてみると一概に否定できない話や、どうしても謎のまま残る部分がある。今は忘れられたコンタクティーたちの主張の中に、真実が隠されている可能性もゼロではないのだ。
羽仁礼(はに・れい)
一般社団法人潜在科学研究所主任研究員、ASIOS創設会員
参考:落合信彦『20世紀最後の真実』(集英社)、
宇宙友好協会『空飛ぶ円盤ニュース』1960年10月号および11・12月号
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