7月に今世紀最後のヒッピーの大祭典! “グレイトフル・デッド”の魅力をデッドヘッズのSHIN氏に聞いた
グレイトフル・デッドというバンドをご存じだろうか? ここ日本では知る人ぞ知るロックバンドだが、本国アメリカでは60年代のヒッピー文化、カウンターカルチャーを代表するアーティストとしてあまりにも有名だ。
アメリカでは、第42代アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンやスティーブ・ジョブズなど多くの著名人が自らを※デッドヘッズだと公言し、影響を受けたと語るほか、スタジアムツアー(通称デッドショー)は、国内の音楽コンサートの中でも年間収益は常にトップだったこともあり、アメリカ合衆国から生まれた唯一の文化とも言われている。
※デッドヘッズ=グレイトフル・デッドの音楽とデッドショーの体験をこよなく愛し、そこにラブ&ピースな一体感を見いだし、さらに自分と同じように感じているほかの人々と巨大な共同体を作っているヒッピーたちのこと。
同バンドは65年に結成され、95年に中心人物のジェリー・ガルシアが死去したことにより活動停止を宣言し解散。しかし、結成50周年にあたる今年1月初旬、生存メンバーによって再結成&ラストライブが7月3日~5日までの3日間限定で行われることが突如として発表されたのだ。
このニュースは全世界を駆け巡り、会場となるシカゴの「Soldier Field」がネット上で販売した21万枚のチケットは、わずか数十秒のうちに完売。ライブ当日は69年のウッドストック以降、最後の大祭典になるといわれ、世界中からヒッピーが集まることが予想されている。
結成50周年を経てもなお、熱狂的人気を持つグレイトフル・デッドの魅力とは何か? 90年代にアメリカでデッドヘッズとしてショーを巡り生活、その後、日本でヒッピーファッション・文化を築いたセレクトショップ「MOONSTRUCK」のオーナーであるSHIN氏に話を聞いた。
デッドマインドを持つ彼の言葉は、自らの価値観に従って生きたいという人にとってよい道しるべとなるはずだ。
――デッドヘッズになった理由を教えてください。
SHIN 大阪で生まれ育ったのですが、小学校時代から友達には好かれるけど担任にイジめられる、ということが多くて、子どもながらに「なんでだろう!」と感じていました。今、思うとそのことがデッドヘッズになるきっかけにつながっている気がしますね。
担任から目の敵のように標的にされるという状況は小学校から高校まで続き、親に強制され、大学へ行かされました。でも、入学してすぐに、「俺は勉強がしたいんじゃない!」と思い中退。美容室で働いて貯めたバイト代を元手にして上田安子服飾専門学校へと進んで、服飾の道を志しました。
専門学校では誰からの指図も受けず自由に服が作れると思っていましたが、結局、高校までの学校生活と一緒でしたね。当時、最もオシャレとされていたコム・デ・ギャルソンの服を型紙にして、誰よりも早く作り終えて服を着て帰ろうしていると、先生がやってきて「あなた製図も引いてないじゃない。みんな、この人のマネ絶対にしちゃ駄目よ!」と服をビリビリに破いたのです。高級なブランドの服を買わずに安く自分で作って着るということがなぜ悪いのか? まったく理解されませんでした。
■あのバブル期に会社をクビになった……
専門学校卒業後は、友人2人を誘って上京。サンタフェスタイルというインディアンファッションを扱うアパレル会社へ勤務し、東京の生活が始まったものの、一緒に入社した友人2人のデザイナーが活躍しているのに対し、なぜか自分には仕事がまったく回ってこなかった。
だんだん、社内で悪目立ちをしだし、上司から「お前本当にアカンぞ、辞めてみるか?」と言われ……次に気付いた時には上司に押さえつけられていた。とっさに暴れてしまっていたのです。そして「お前の発想とデザインは早すぎて、一般社会では誰も理解できない!」と、あのバブル時期にクビを宣告されました。結局、社会に出ても上の者から好かれない。イジめられる。このことは学校でも社会でも同じでしたね。
ところが一緒に上京した友人2人はというと、自分の倍以上の給料をもらうなどデザイナーとしての仕事は順調。自分が辞める時にその友人たちから「シンちゃんのデザインやアイデアをまねして描いてやってるだけだ」と慰められました。俺は「そんなことないよ、それは自分の力だから」と答えながらも、「全部マネなのに・・・・・・」と心の中では思っていました。“俺が発想するのはダメで、2人がアイデアをまねして成功するのはなぜだ?” そんな考えが頭の中でクルクル回りだし、渋谷の路上に倒れていました。
■グレイトフル・デッドとの出会い
ーー会社を辞めてからはどのような生活を?
SHIN あまりにも自分のやっていることが理解されずに、悩んでいた頃。一旦、地元の大阪へ戻ると、シンガーソングライターの従兄弟から「お前にそっくりなやつがいる。レニー・クラヴィッツ、お前の好きなインディアンや!」と言われた。CDをレンタルして聴いたところ、確かにすごく良くて一発で気に入った。父親がミュージシャンだったという血筋もあり、それからは服に向けていた情熱を今度は一気に音楽に注ぐようになり、自作した音源をラジオ番組に送りました。
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2024.10.02 20:00心霊7月に今世紀最後のヒッピーの大祭典! “グレイトフル・デッド”の魅力をデッドヘッズのSHIN氏に聞いたのページです。SHIN、グレイトフルデッド、デッドヘッズ、ヒッピー、Yousuke Koizumiなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで