「どうして人を殺してはいけないのか?」元少年Aの結論とは? ― 『絶歌』から加害者心理を読む

「どうして人を殺してはいけないのか?」元少年Aの結論とは? ― 『絶歌』から加害者心理を読むの画像1絶歌』(太田出版)

 神戸連続児童殺傷事件の加害少年、元少年Aが書いた『絶歌』(太田出版)が、「サブカル臭が強すぎる」「自己陶酔している」「遺族感情を無視している」など、さまざまな批判を浴びている。出版社に対しても、「売れれば何でもいいのか」と疑問の声が上がっている……。

 しかし、本当に批判ばかりなのだろうか?

 かくいう私も先日『絶歌』に関して疑問を投げかける記事を本サイトに寄稿したが、加害者更生(加害者臨床)の取材をしている私が、あえて本書を元に、「加害者心理を読む方法」のひとつを示したいと思う。

 本書に対して嫌悪感を抱く人や、加害者心理について知りたくない人は、これから書く文章を読む場合、注意してほしい。


■元少年Aの思考の変化 動物虐待から、人を殺すまで

まずは、元少年Aの思考の変化についてみてみたいと思う。

・死への関心

注目すべきは祖母の存在だろう。彼にとって安心できる人間は祖母だった。何をしても許してくれる人物だった。しかし、小学校4年生のころ、祖母が肺炎をこじらせて亡くなる。それによって、

 「『悲しみ』とは『失う』ことなんだ。(P43)」

……ということを自覚する。

・動物虐待

 と同時に、死に対する関心が深まり、ナメクジやカエルを解剖するようになる。このあたりまでは、異様というよりは“あり得る行動”だ。私もカエルを解剖した経験がある。「死」への意識が強かろうが弱かろうが、昆虫を殺すという残酷行為を少年少女時代に経験する可能性は誰にでもある。

 だが、そこで「生や死をコントロールしている」と元少年Aは感じるようになるのだ。さらに、彼はそれが「性衝動」と結びつく。このあたりの描写は、加害者心理が細かく書かれており、加害者の更生をどのようにプログラムしていくべきかを考える上でとてもわかりやすい内容だ。医学的な治療はもちろん、「薬物療法」も必要になるのではないかと思わせる。

 元少年Aは中学1年生の時、児童相談所へ相談に行くように勧められるが、母親は病院に連れていく。家裁決定によると「医師は母親に対し、認知能力に歪みがあり、コミュニケーションがうまくいかないので、過度の干渉を止め、少年の自立性を尊重し、叱るよりも褒めた方がいいと指導した」とある。

 もしもこの時、児童相談所(児相)に行っていたらどうだったのか? 2014年7月に起きた「佐世保女子高生同級生殺害事件」でも親は、児相に相談していたが、事件は防げなかったことを考えると、「結末は誰にもわからない」としか言えないだろう。本書では触れていないが、小学6年生のときに、先生に「何をするのかわからん。このままでは人を殺してしまいそうや」と言い、泣きじゃくったことがあると報道されたこともあった。もしも、それを児相が汲み取っていれば、何かが変わったのではないかと思ったりする。

・殺人行為へ

 その後、元少年Aの死への関心が「動物」から「人」に向いたのかは、詳細に書かれているわけではない。あえて言えば、殺害された男児が、祖母のように、何をしても許してくれる存在だったからということか? 引用文を見てみよう。

「祖母の死をきちんとした形で受け止めることができず、歪んだ快楽に溺れ悲哀の仕事を放棄した穢らわしい僕を、淳君はいつも笑顔で無条件に受け入れてくれた」(P123)

 しかし一方で、それが耐えられないという複雑な心境になる。

「僕は淳君が怖かった。淳君が美しければ美しいほど、純潔であればあるほど、それとは正反対な自分自身の醜さ汚らわしさを、合わせ鏡のように見せつけられている気がした」(P125)

 それがなぜ殺害に至るのかは書かれていない。「無茶苦茶にしたい」「殺したい」という感情が湧き出るのは、思春期のみならず、人は誰しも、瞬間的に、また継続的に考えることはある。しかし、行動にはなかなか移せないし、移さない。そういうものだ。

「殺害」という壁を越えるのは、「日常性」とは違ったものが必要だが、それがなんだったのかは自己分析では限界があるのだろうか。本書にはないが、犯行当時、日記にはこう書かれていた。

「バモイドオキ神様。ぼくは今現在14歳です。もうそろそろ聖名をいただくための聖なる儀式、『アングリ』を行う決意をせねばなりません」

 これは当時の彼が犯行を決意した時の心境を表したものなのだろう。ただ、殺害計画を立てたとしても、なぜ実行できたのかは別の問題だ。

 一方、家裁決定では「加えた傷害の部位が身体の重要な部分であることを考えると、攻撃回数が少ないため、確定的な殺意までは認めることができないが、仮に死の結果が発生しても止むを得ないとの認識であったと認めざるを得ない」とある。


・現在の思考/脱・酒鬼薔薇聖斗?

 この結論は、日記から推測される強い決意とは大きな差があるのではないだろうか。彼は一体、どんな気持ちで人を殺害したのか? このあたりの詳細な記述がないのだ。『絶歌』において、動物虐待については詳細に書けても、人の殺害シーンを細かく書けなかったことをどう読むべきなのか? 「記憶がない」「徐々に忘却した」「罪悪感により書けなかった」「遺族への配慮」なのか……。遺族への配慮だとすれば、思考としては、徐々に「脱・酒鬼薔薇聖斗」化しているとも言えなくもない。


■殺人を犯した直後の心理

 さて、殺害現場はタンク山だが、そこから入角ノ池の大きな樹の根元まで、頭部を移動させている。どのようなことを考えていたのかが書かれている。家裁決定全文では「もっと人目の付かないところへ首を運んで、ゆっくり鑑賞しようと考えた」とある。そう供述もしたと本書でも書いているが、その内容を否定している。

「まだ事件は発覚していないものの、公開捜査は始まっており、街中、至るところで警官や機動隊、PTAや学校関係者が『行方不明』となった淳君を捜しまわっていた。現に、遺体の一部を持ってタンク山から入角ノ池へ向かう途中、池を囲む雑木林の中で僕は三人組の機動隊と出くわし、言葉を交わした。『人目のつかない場所で』などと冷静に考えて行動したなんてありえない」(P33)


・殺害直後から後悔していた?

 と記している。このようにその時の思考を思い出している部分があったりする。ではなぜか? それは「蘇りの儀式」だったのではないか、とやや第三者目線で語っている。元少年Aは、入角ノ池の大きな樹の根元を「生命の起源を象徴する」(同)場所として認識していた。そこに隠すことで、

「“生き返らせたかった”のではないか」(同)
 
 と記しているのだ。だとすると、この時点で殺人への後悔が生まれていたとも考えられる。その行為について「世間や被害者の感情を逆撫でする」と感じている。そして、ドストエフスキーの『罪と罰』を引用しながら、こう書く。

「人を殺すという極限行為に及んだ人間が、冷静に正気を保っていられるほうがおかしい。僕とて例外ではない。一連の犯行に及んでいるあいだ、僕は、常に怯え、焦り、混乱していた。心の中ではパニックを起こし泣き叫んでいた」(P34)

 これは、事件の加害者「酒鬼薔薇聖斗」は、当時、彼自身だけの守護神「バモイドオキ神」が支配する世界にとりつかれた、死を支配している冷酷な少年、というイメージだったが、実は、普通の少年だったとの告白だ。

 そのことが当時の心境なのか、執筆段階での心境かを把握することは難しい。だが、もしこの思考をもっと早く世の中に理解されていたら、のちに「酒鬼薔薇聖斗」を神格化した少年少女たちが生まれることはなかったのかもしれない。

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