元少年Aからメールの返事がきた「僕の抱える異常性の本質」

■質問と応答

 私は、元少年Aが『絶歌』を出版する以前に書かれた事件についての書物を読んだという前提でメールを書いた。そして、個人的にずっと気になっていた「冤罪説」について聞いた。少年事件ということで、当時の詳細な情報がほとんど出てこないことや、報道されたいくつかの情報の整合性がないことから「冤罪説」を主張する意見も少なくなかったのだ。

・少年Aからの返信
「冤罪説」って、けっこうマジで主張している人が多いんですか?  僕は自分のやった行為の鮮明な記憶をほとんど身体器官の一部のように知覚しているため、「冤罪」といわれてもピンとこなんですね。本で触れなかったのは単に「冤罪説」に興味がなかったからであって、正直どうでもいいというか……

 「冤罪説」にこだわる人たちがまだまだいるなか、元少年Aは「冤罪説」を否定し、「ピンとこない」「興味がなかった」と言い切った。

 冤罪説が浮上するもうひとつの理由のひとつとして、「誰かをかばっているのではないか?」という勘ぐりもゼロではない。いずれにせよ、冤罪説について本人に質問をすること自体、滑稽なことだったのかもしれないが、ひとつの言質が取れたことは大きい。

 また、私は「元少年A『絶歌』の出版が投げかけたもの」(「マガジン航」15年7月13日)で「彼には病識がないのではないか。つまり、自分は精神を病んでいないと思っているのではないか」と書いていた。

 元少年Aはこのことに触れて、次のように返答している。

確かに僕は精神鑑定においては精神病ではなく、それを疑わせる症状もないと判断されていました。でも、自分が健常者であると思ったことはありません。専門家から統合失調や精神病質、アスペルガーを疑われることもありますが、僕の抱える異常性の本質は、異常性そのものよりも、異常さと、同等かそれ以上のまともさの“ギャップ”の部分にあるのではないかと自分では感じています。部分的には、普通以上に普通な感覚も持っています。明らかに病理性を感じる部分もあります。それは誰でもそうなのかもしれませんが、僕の場合は他の人たちと比べてその落差が激しすぎるのかもしれません。

 なかなか興味深い一説は「僕の抱える異常性の本質は、異常性そのものよりも、異常さと、同等かそれ以上のまともさの“ギャップ”の部分にあるのではないかと自分では感じています」というもの。異常性とまもとさのギャップ。「その落差」がものすごく乖離しているとの認識は元少年Aにあるようだ。といっても、解離性同一性障害のような人格の分離ほどはいかないものなのだろう。

 さらには、トカナで掲載した、「麻原彰晃の三女・アーチャリーのインタビュー記事『心の奥底にある、“死にたい”』」を読み、興味を持ったとのことだった。

彼女も筆舌に尽くしがたい苦しみを味わったのですね。年齢にそぐわないその眼に苦難の色が滲み出ているように感じました。富士宮市の総本部の荒れ果てた屋上。白熱灯に吸い寄せられる無数の蛾。柵を越え、死神と戯れる5歳の少女。読んでいるだけで、その時吹いていた風の冷たさを肌に感じるような、切なくやりきれない風景です。よく今日まで生き抜いたと思います。きっと芯の強い方なのですね。僕はまだ彼女の本は未読なのですが、この記事を読んで、一読の価値はあるかもしれないなと思いました。彼女の抱える過酷な宿命や「生きづらさ」は僕には想像もつきませんが、同じ世紀末を特殊な環境で過ごした同年代の者として、自分自身の「生きづらさ」と向き合うヒントになるかもしれません。

 82年生まれの元少年Aと83年生まれの松本麗華さんは同世代で、事件が起きたのも97年、95年と同時期だ。あの頃、世紀末はなにか一定の独特な雰囲気があったように私は感じている。世紀末というだけでなく、社会がアナログからデジタルに移行する時期でもあったからかもしれない。バブルが崩壊し、のちに「失われた10年」や「失われた20年」と言われた空白の時代のスタート地点の頃だ。

 元少年Aの感想文からは、そうした時代を意識した可能性も読み取れた。また、「彼女の抱える過酷な宿命や『生きづらさ』は僕には想像もつきません」と、無理に同情的でもない。ここにも、「まともさ」が現れているのかもしれない。

 ただし、こうしたブロマガでの返信はあったものの、取材については「今のところはお受けすることはできません」と、メールでの依頼は拒絶された。「世間的にはいまは“WANTED!!”扱いですので…」というのが理由のようだ。

 しかし、今後も含めて「まずはここで意見交換をし、大きなリスクを冒してまであなたに会いたいと思えるようになれば……」と、取材を受ける可能性は残していた。

 では、私はここで、元少年Aからのメッセージに対する返事を書こうと思う。

元少年A様

 フリーライターの渋井哲也です。メールが届いたときにはびっくりしました。そもそも返事があるとは思ってもいなかったからです。返事があるとしても、公開前提ではないと思っていたので、こちらのメールには書かれていない内容がブロマガを通じてなされるという手法にも驚きました。

 さて、ブロマガでは、私が一番最初に登場していました。知人は「一番最初に返事をしたいと思ったからじゃないか?」とか「たまたまじゃないか?」と言っていましたが、一番最初に登場させるのは何かしらの意図があったのでしょうか? 私の想像では、取材依頼のメールがほかにも届いていると思いますので、取材に対するスタンスを提示する意味としてだったのではないかと思うのですが……。

 また、今回の返事には、冤罪説に関する意見が書かれていました。恐らく、冤罪説に関して元少年A様ご自身が見解を述べたのは初めてのことだったのではないかと思います。それはとてもありがたいことです。事件について整合性を疑う部分があったため、私自身が冤罪説に興味があったのです。しかし、元少年A様は「冤罪説」を明確に否定されたうえ、「興味がない」と言うので、メールやオンラインではこれ以上の詮索は避けたいと思いますが、もし、今後、お会いすることがあれば、少しだけでも聞いてみたい話なのです。

 また、トカナに掲載された「麻原彰晃の三女・アーチャリー」こと、松本麗華さんへのインタビュー記事をお読みになっていただき、ありがとうございます。私自身、「生きづらさ」をテーマに取材を続けています。松本さんがどんな風景を見ながら育ったのか、そして生きづらさの根源は何かをお聞きしたかったのですが、それが実現した記事でした。

 このインタビュー記事に興味を抱いていただけた、ということは、元少年A様もなんらかの「生きづらさ」を抱えているということでしょうか。「生きづらさ」は「生きにくさ」と同義だと思うのですが、その「生きづらさ」が個人の特性によるものか、家族環境によるものか、社会的な環境によるものか、それらの複合なのかは人によって変わってきます。元少年A様の事件前の思考は著書を読めば想像ができますが、もし、ご自身で説明可能であれば、教えていただきたいです。

 ブロマガに掲載された私への返事の中で、私の問いに触れていない部分があります。「事件後に出版された、事件に関するさまざまな考察がなされた書籍などはお読みになったことがありますか?」というもの。

「透明な存在」という言葉は、事件後に一人歩きしました。ただ、そのフレーズが一部の人の共感を呼んだことは間違いないです。事件の言説について、なにか思っていたこと、あるいは現在でも思っていることがありますか?

 以上です。またの返信をご検討ください。

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