「ずっと公安に尾行されてた」元オウム・菊地直子モチーフの映画イベントで雨宮処凛が語ったアノ事件とは?
雨宮処凛は、『生き地獄天国』(太田出版)でデビューした作家。近年では格差社会をテーマにした『生きさせろ! 難民化する若者たち』(同)を上梓、デモを主導したり、選挙に関わるなど、社会運動家でもある。
雨宮は、オウム真理教による地下鉄サリン事件のことを思い起こしたという。
「その時は20歳で、まったく先の見えないフリーターでした。95年って阪神淡路大震災がありましたよね。それで、戦後の繁栄が一夜にして瓦礫の山になった気がして、その2カ月後の3月の地下鉄サリン事件で、戦後日本の繁栄の下支えをしていた価値観、物質主義とか拝金主義みたいなものが、ガラガラと崩壊していった感じがしたんですね。
オウムの信者の人たちって、少し私より上の年代ですけど、その人たちが命をかけるぐらいの勢いで、この社会のあり方に異議を申し立てているというように思えて、ずっとはまって報道を見ていました。この社会はおかしいんじゃないかみたいなメッセージに見えてしまったというか……。
それで事件後に、オウムの脱会信者のイベントに通うようになって、脱会信者の人たちと接するようになり、2000年に本を出して物書きになってから、アレフの道場に行ったこともあります。平田さんの逮捕は、2011年の年末でしたよね。オウムのことが過去のことになっていて、忘れていた時にああいうことになって、改めてこの10何年というのを考え直しました。オウムのことが注目されている時の逃亡生活と、なんか、世間が忘れ去っている時の逃亡生活と、全然意味が違っていて、途中で『自分たち何をしているんだろう』って思わなかったのかなって、そういう感じはすごく持ちましたね」
匿うということについては、雨宮にはそれに近い経験があった。1970年によど号(日航機)をハイジャックして北朝鮮に渡ったグループと、北朝鮮で会って親交を持っていた。
「彼らの子どもたちが同世代なんですよ。それで友だちになって、北朝鮮に通うようになったんです。子どもたちが日本に渡ってきた時に、家に住まわせていることがありました。娘たちは犯罪者じゃないんだけど、その時はずっと公安警察に尾行されていましたね」
また、子どもたちの父親たちが、匿ってくれと自分の所にやってくる夢を、何度も見たことがあるという。
「彼ら、国際指名手配犯なわけで、匿った場合、こっちもすごく罪に問われるじゃないですか。だけど友だちのお父さんなわけで、『助けてくれ』って頼まれたら、入れるかどうか。けっこう究極ですよね」
最後に、菊地直子が無罪になったことについて、話が及んだ。
「無罪判決が出た時、おめでとうメールがいっぱい来たんですよ」
土屋がそう言うと、会場には笑いが満ちた。
できあがった作品を演じるのにひたむきで、現実の出来事には、さして関心はなかったようだ。芸術とは、そういうものかもしれない。
日本では、起訴されると裁判では99.9%が有罪になる。他の先進諸国ではおおよそ、その確率は7~8割である。その中で無罪を勝ち取ったというのは、自分が運んだ薬品がテロに使われるものだとは知らなかった、という本人の主張が事実だと認められたということだろう。無実でありながらも逮捕されれば罪を着せられてしまうと恐れ、逃亡を続けた菊地直子。それを思いつつ、この2本の映画を鑑賞すれば、また違った感慨が生まれるだろう。
12月9日、東京高検は上告した。最高裁で無罪判決が覆される可能性もある。先行きを見守っていきたい。
(文=深笛義也)
■深笛義也(ふかぶえ・よしなり)
1959年東京生まれ。横浜市内で育つ。18歳から29歳まで革命運動に明け暮れ、30代でライターになる。書籍には『エロか?革命か?それが問題だ!』『女性死刑囚』『労働貴族』(すべて鹿砦社)がある。ほか、著書はコチラ。
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2024.10.02 20:00心霊「ずっと公安に尾行されてた」元オウム・菊地直子モチーフの映画イベントで雨宮処凛が語ったアノ事件とは?のページです。オウム真理教、菊地直子、平田信、前川麻子、土屋貴子、雨宮処凛などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで