大晦日の日本の風物詩『紅白歌合戦』はかつて「儀式」だった?

大晦日の日本の風物詩『紅白歌合戦』はかつて「儀式」だった?の画像1※イメージ画像:『紅白歌合戦の舞台裏 誰もが知りたい紅白の謎と歴史』(全音楽譜出版社)

 2015年度末に放送された『第66回NHK紅白歌合戦』の視聴率が、二部制になって以降史上最低の39.2%となった。視聴者の“紅白離れ”が進んだ形だ。

『NHK紅白歌合戦』の第1回放送は1951(昭和26)年。この年、日本は第二次大戦後から続いていたGHQの進駐が終わり、日本は独立国となった。戦後日本の始まりとともに、紅白はスタートしたのだ。

 紅白の歴代最高視聴率は、1963(昭和38)年に記録された、81.4%である。この年、北島三郎が初出場を果たしている。

 当時は、東京オリンピックを翌年にひかえ、家庭へのテレビ普及が進みつつあった時代だ。テレビを持つほとんどの家庭が紅白を観ていたことになる。その後の紅白の視聴率は、1980年代初頭まで70%近くをキープする“オバケ番組”であった。

 そして、1989年に1月7日に昭和天皇が崩御し、時代は昭和から平成へと移り変わっている。この年から二部制が導入される。これは長時間番組において、平均視聴率の低下をごまかすための措置と見ることもできるだろう。奇しくも、紅白の二部制のスタートと、平成の始まりはリンクしていることになる。

 現在、紅白歌合戦は日本国内だけでなく、NHKの国際放送に乗せて世界中で流されている。だが、かつてはオンタイムでの放送は行われておらず、生放送をフィルムに記録したものが流通していた。

 1972(昭和47)年まで、アメリカによる統治が続いていた沖縄では、大晦日ではなく元日に紅白歌合戦が放送されていた。紅白を放送したのは、統治下の沖縄に設置された公共放送局であるOHK(沖縄放送協会)である。同局では、紅白のほか、『のど自慢』など本土の放送も時間差で放送されていた。

 OHKでは、公共放送であるものの、1969(昭和44)年まで、受信料の徴収を行っていなかった。そのため、沖縄の住民はNHKの番組を受信料なしで観ることができた。その慣習を受けてか、沖縄県は現在も他県に比べて受信料が低く設定されているものの、支払い率は全国ワースト1である。

 世界各地にある日本大使館でも、フィルムによる紅白歌合戦の上映会が行われていた。上映会場には、日の丸が掲げられ、君が代の斉唱も行われたという。いわば紅白鑑賞は“新年の儀式”であったのだ。1970(昭和45)年の放送回フィルムが、アルゼンチン大使館で発見されたこともある。テレビの過去映像は、現存するものが少ないため、貴重な記録の発見となった。

 現在、インターネットがつながれば、どこにいようと日本語の情報や映像は簡単に手に入る。だが、かつては空輸されたフィルムによってしか、紅白を観られない時代があった。それを観る日本人たちは、望郷の念にかられていたに違いない。
(王城つぐ/メディア文化史研究)

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