京都・ウトロ地区 ― 安住の地を求めた在日コリアンの軌跡

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 もともとこのウトロが誕生したのは、第二次世界大戦下に行われた京都飛行場と、航空機工場の建設が大きく関係しているのだという。実はこれらの大規模工事の際に、労働者として作業に従事していた2000人のうち、半数以上の約1300名が朝鮮人であるとされ、そうした彼らとその家族が暮らす飯場として設けられたのが、このウトロ地区の前身だったのだ。

 しかしその後、日本の敗戦によりこれらの大規模建設工事はあえなく中断。労働者全員が強制的に失業するという憂き目に追い込まれたが、その際に、行き場を無くしてそのまま定住した労働者とその家族、さらには周囲で暮らしていた貧困層の住民により、このウトロ地区が形成されていったのだという。そうした意味では、このウトロ地区は、彼ら朝鮮人のみならず、われわれ日本人にとっても、戦争が残した爪痕そのものであると言えるだろう。


■静まり返る街角に隠れる衝突の歴史

 一般的な住宅街における「路地」に相当するであろう場所に足を踏み入れてみると、やはりというか周囲はしんと静まり返っており、人々が生活している気配があまり感じられない。また、老朽化が進む家屋には、『特攻』『喧嘩上等』といった煽情的な落書きが並ぶが、それを修復しようと試みた痕跡も確認できなかった。この集落で暮らす人々が今なお一定数いるであろうことは頭で理解していても、感覚的に伝わってくるのは、ゴーストタウンや廃村のそれに近い。

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 別のある建物の場合は、崩落しかかっている木造部と、それを補うように打ち付けられているトタンが実に印象的だ。その壁面には写真をそのまま貼り付けたと思しきコンパネ状の板が立てかけられているが、すでにその板は建物の一部と化している感も否めず、またそこに掲示されている写真は、既に雨露によって色褪せていた。崩落の危険を感じさせる古いブロック塀も、実にアンバランスなバランスを保ち続けることで、かろうじてその形を維持しているようだ。

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