世界大戦からアパルトヘイトまで! 命懸けの勇敢な行動で世界を激変させた子ども5人
世界を平和に導くには、必ず誰かが声を上げ行動を起こす必要がある。大の大人でもその1歩を踏み出すのは難しいことだが、世界には幼い子どもが後に世界を大きく変えてしまうほどの行動を起こしたことも。今回は世界に多大な影響を与えた幼い子ども5人を紹介しよう。
■アンネ・フランク
誰もが歴史の教科書などで、一度は“アンネ・フランク”の名前を聞いたことがあるだろう。彼女は第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの魔の手から逃れるため家族7人と共にオランダへと亡命。過酷な生活の中で、アンネは日記を心の支えに戦争下の生活の様子を綴り始めた。しかし、1944年には一家の居場所が特定されドイツにあるベルゲン・ベルゼン強制収容所へと連行される。その後アンネは、収容所内でチフスに感染し15歳で死亡。フランク家唯一の生存者であったアンネの父・オットーは、終戦後の1947年にアンネが記した日記を出版。1950年にはドイツ語訳とフランス語訳が出版され、1952年には英語にも翻訳され今なお世界中で愛読されている。
■サマンサ・スミス
米国とソビエト連邦(以下、ソ連)が冷戦下にあった1982年11月、米国在住の10歳の少女サマンサは当時のソ連共産党書記長ユーリ・アンドロポフに向けた手紙を執筆。彼女が「米国とソ連が核戦争を起こさないか心配」と綴った文面はソ連の機関紙に掲載され、1983年4月にはユーリ書記長からの返事とともにソ連への招待を受けた。サマンサは米国史上最年少の親善大使となり、ユーリ書記長とも電話で言葉を交わすなど大きな注目を集めることに。しかし1985年8月には搭乗した飛行機が着陸に失敗し、サマンサは13歳という短い生涯に幕を閉じた。ちなみに1983年12月には日本にも訪れており、当時の中曽根康弘首相とも面会したそうだ。
■へクター・ピーターソン
1976年6月16日に南アフリカ共和国・ヨハネスブルグで、2万人近くの学生がアパルトヘイト反対を訴えるデモ行進“ソウェト蜂起”を起こした。警察はデモ行進を続ける学生に向かって犬を放つなど応戦を始めると、学生と警察の間での衝突は収拾がつかなくなるまでに発展。しまいには警察が学生に向かって発砲を開始すると、デモ当日だけで176人の子どもが警察によって射殺され、中には当時13歳だったヘクターの姿も……。仲間の学生が死にゆく彼を運ぶ様子を写した写真は、政府が行うアパルトヘイト政策の残虐性を象徴する1枚として世界中で有名となった。
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2024.10.02 20:00心霊世界大戦からアパルトヘイトまで! 命懸けの勇敢な行動で世界を激変させた子ども5人のページです。ナチス、米国、人権、ソ連、子ども、山下史郎、ホロコースト、南アフリカ共和国、アパルトヘイトなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで