「霊的ボリシェヴィキ」という言葉に隠されたオカルト的革命論とは? 月刊『ムー』創刊顧問・武田崇元インタビュー!

 前回に続き、日本オカルト界の重鎮・武田崇元がTOCANAに登場する。伝説の雑誌『復刊地球ロマン』の編集長にして、1979年には『ムー』創刊に顧問としてかかわり、八幡書店を立ち上げてからは、『竹内文書』『東日流外三郡誌』などの貴重な文献を復刻し、大石凝真素美の全集も手がけ、出口王仁三郎の再評価のきっかけも作ってきた。その一方で『ムー』ではポップオカルトを仕掛け、日本のオカルト精神世界を裏から支えてきた実力者である。

 そんな武田の長年の業績が、オカルトファンのみならず、Jホラーや映画ファンにまで注目されるきっかけとなったのが、今年公開となった高橋洋監督の映画『霊的ボリシェヴィキ』(宇都宮ヒカリ座にて、8/4~ 8/17上映)である。高橋は、大ヒット映画『リング』『リング2』の脚本家としてよく知られ、監督としても映画『恐怖』などで大いに注目されてきた。そんな高橋の新作映画のタイトル「霊的ボリシェヴィキ」という言葉の生みの親こそ、武田崇元である。「コティングレーの妖精写真」「降霊術」などのオカルト用語をふんだんに散りばめた高橋の心霊映画の新たな試みに陶酔したオカルトファンも多いだろう。前回に続き、日本オカルト界の重鎮・武田崇元にケロッピー前田が聞いた。

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「霊的ボリシェヴィキ」という言葉に隠されたオカルト的革命論とは?  月刊『ムー』創刊顧問・武田崇元インタビュー!の画像2武田崇元氏/ケロッピー前田撮影

――「霊的ボリシェヴィキ」という言葉は、その意味以前に吸い寄せられるような怖さがあります。高橋監督も言葉から映画を発想していったと語っています。「霊的ボリシェヴィキ」という言葉はどこから生まれてきたのでしょうか?

武田「この言葉が生まれた背景には1968年革命という全世界的な左翼運動の昂揚と衰退があった。その年、パリの五月革命をはじめ、世界中に学生や若者の反乱が広がったんです。日本もしかり、いま東京の街路はどこもアスファルトになって、舗道でも石が剥がせないようになってますが、それは俺らが石を剥がして投げとった時代があったから(笑)。最近、若者が保守化して、自民党の支持率は若者の方が多いと言われますが、当時は”レフト”、それも共産党といったふやけたもんじゃなく、極左が普通だった。しかもそれは政治を超えて文化的なものを巻き込んだ大きなうねりになっていたんです。寺山修司や唐十郎のアングラ演劇、ドラッグカルチャーやヒッピームーブメントなんかもそうでした。その同じ68年に、大陸書房という出版社が登場します。ここでいう大陸とはムー大陸なのね。ムー大陸の存在を主張したジェームズ・チャーチワードの本が続々と翻訳され、宇宙人や古代文明、心霊などのちに雑誌『ムー』で扱うことになるテーマが大衆的な出版物としてすごいスピードで量産されはじめた。60年代の終わりにそのような現象が始まったことは画期的なことだったんです」


――大陸書房の登場は、68年革命的な文化状況とリンクしていたんですか?

武田「それがまったく接点はなかったんだんだ。つまり、イギリスなんかでは、オカルト復興は新左翼や対抗文化と密接にリンクしていた。たとえば、1966年にロンドンフリースクールができて新左翼と対抗文化の拠点になって、そこからピンク・フロイドなんかも登場した。で、これにはジョン・ミッチェルというオカルト信奉者が関係していたんです。レイラインという、古代のケルトの遺跡をマッピングしていくと綺麗に直線上に並び、UFOの目撃事例も多いという話があって。1920年頃にアルフレッド・ワトキンスが言い出したレイラインを60年代に復興したのがジョン・ミッチェル。彼が管理していたビルの地下はマイケルX(マルコムXを気取った左翼活動家)の賭場でもあったけど、そこでロンドンフリースクールがはじまり、ジョン・ミッチェルはUFOとレイラインの講座を受け持つことになるわけ」


――武田さんは当時、そういうロンドンでの動きもキャッチされていたんですか?

武田「そんなことあるわけねえだろ。吉幾三じゃないけど、ネットはおろかパソコンもねえ、衛星放送ねえ、アマゾンもねえ(笑)。当時のイギリスの状況なんかリアルタイムで知るわけもなかったけど、68年革命という政治的文化的熱量を帯びた時代を通過しながら、同時に大陸書房の愛読者でもあった俺にとっては、ムー大陸や超古代史の話はひとつの思想だったんだよ。そして、なぜ、日本では対抗文化との接点がないんだろうと思うようになっていくんです」


――で、それを接続してやろうとしたわけですね。

「霊的ボリシェヴィキ」という言葉に隠されたオカルト的革命論とは?  月刊『ムー』創刊顧問・武田崇元インタビュー!の画像4

武田「そういうこと。つまり、オカルトに左翼的な対抗文化を接続する、それが霊的ボリシェヴィキという発想の背景にあったんです。そのことは『復刊地球ロマン』の編集長をやっていたときも、『出口王仁三郎の霊界からの警告』を書いたときも、ずっと俺の根底にあったんだ」


――オカルトという言葉が日本で浮上するのは70年代になってからです。

武田「うん。60年代にオカルトやオカルティズムという言葉はあったけど、それは超能力やUFOやムー大陸といったものを示す言葉ではなかった。当時、澁澤龍彦が幻想文学や美術の紹介者として一定の読者を獲得していて、文学や芸術の領域における異端趣味の系譜があったんです。この流れが日本では68年革命の文化的側面として浮上して、『ドグラ・マグラ』の夢野久作が再評価されて、新左翼系の三一書房から69年に夢野全集が出るわけ。だから、オカルトやオカルティズムといった言葉は、澁澤に代表される幻想、異端趣味に関連したものとして流通していたんです。それが73年にコリン・ウィルソンの『オカルト』の邦訳が出て、翌74年にスプーン曲げ騒動があって、オカルトという言葉が現在イメージされる意味に転換するわけ」

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