64年東京五輪に出場したパラアスリート・近藤秀夫が激白! “驚きの実話”と、寝たきり状態からの社会復帰!

64年東京五輪に出場したパラアスリート・近藤秀夫が激白! 驚きの実話と、寝たきり状態からの社会復帰!の画像1画像は、『アフター1964東京オリンピック』(サイゾー)

 カルロス矢吹の新刊『アフター1964東京オリンピック』(サイゾー)が、1月7日に発売される。本書は、1964年10月に開催された東京オリンピック・パラリンピックに関する膨大な新聞・書籍などの資料から存命している元オリンピアンに直撃インタビューを敢行した『月刊サイゾー』の連載を大幅に改定。世界中からの栄誉を一身に収めた選手たちは、その後どんな人生を送ったのか、知られざる真実をまとめている。東京オリンピックの裏面史として、オリンピアンたちの知られざる苦悩やその後の人生を記したルポとして、都市計画やスポーツ論として、さまざまなな角度から取材を投げかけた新鋭ルポライターによる、渾身の一作だ。

 今回は、本書に収録されているインタビューの中から一部を抜粋し、掲載する。


2020年に五輪開催を控える東京と日本のスポーツ界。現代のスポーツ界を作り上げ、支えてきたのは1964年の東京五輪で活躍した選手たちかもしれない。かつて64年の東京五輪に出場した元選手の競技人生、そして引退後の競技への貢献にクローズアップする。64年以前・以後では、各競技を取り巻く環境はどう変化していったのか?そして彼らの目に、20年の五輪はどう映っているのか――?

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「これだけの設備があれば、俺たち障害者も普通に生活できるよな!」

 スロープや障害者用トイレが完備された選手村に入った時、近藤秀夫は車いすバスケのチームメイトと、そうはしゃいだという。

 近藤は健常者として岡山県に生まれた。2歳の頃に実母を亡くし、終戦後は戦争から戻って来た父親の仕事の都合で、福岡県田川市の鉱山へ移り住んだ。

「父親が結核になりましてね。当時の炭鉱には多かったんです。結局父は亡くなって、育ての母は幼かった妹を連れて故郷へ帰り、私は兄たちと炭鉱に残って働くことにしました」

 近藤の身に災いが降りかかったのはそんな折、まだ16歳の時であった。

64年東京五輪に出場したパラアスリート・近藤秀夫が激白! 驚きの実話と、寝たきり状態からの社会復帰!の画像4近藤が少年時代を過ごした、福岡県田川市の炭鉱街の様子。

「炭鉱の中で使うレールを運ぶことになりましてね。本当は14人くらいで運ばなきゃいけないんですけど、12人くらいしかいなかった。しかも私はチビだったから、一番先端を肩に担いでいたんです。前日、雨が降ってぬかるんでいたせいか、私の後ろで“テコ”の役割をしていた人が滑りそうになってパッと離れてしまった。そしたらそれを見た他の人たちも本能的にレールを離してしまって、その重さが全部私1人にかかったんです。その瞬間、脊髄がポキっと折れて、身体がV字になって突き出た脊髄が土に刺さった感触を覚えています。あっという間に気を失って、気がついたら三井田川病院に担ぎ込まれていました。数人がかりでV字になった身体を元に戻す最中、激痛で枕を食い破ったことを覚えています」

 障害者としてほぼ寝たきりの生活を余儀なくされ、退院後、国立重度障害者センターへ移ることに。もともと傷痍軍人向けの施設で、当時は“リハビリ”や“社会復帰”という概念が一切ない時代だった。

「“ここに来たら、何も心配いらないよ、生活保護も出るからね”と言われました。3年間寝たきりの生活を続けていましたね。そのせいで床ずれがひどくて、拳を入れて脊髄をコンコンと叩いたくらい。骨を伝って脳みそに直接音が響くんです。リハビリなんてものはその当時は日本になくって、関節が固まらないように脚を動かしてくれる程度ですね」

 血気盛んな10代後半~30歳までを施設で過ごしていた近藤に転機が訪れる。今も“オヤジ”と呼び慕う中村裕医師が、施設を訪ねてきたのである。“日本パラスポーツの父”と呼ばれる中村医師は、障害者によるスポーツ大会――国際ストークマンデビル大会を東京五輪と併せて開催できないかと奔走していた。東京パラリンピックの2年前であった。

64年東京五輪に出場したパラアスリート・近藤秀夫が激白! 驚きの実話と、寝たきり状態からの社会復帰!の画像5高知県安芸市にある近藤の自宅、完璧なバリアフリー設計の基に建築されている。

「中村先生は割合若い、動ける障害者だけを集会所に集めて“今度オリンピックがあるけれども、同時にパラリンピックという大会もやろうと思っている。そこで普通は車いすバスケットで1カ国1チームしか出られないんだけど、日本だけ2チーム出られるように特別に許可をもらってきた。普通のバスケットと少しルールが違うので、今翻訳しているから、とりあえずボールを使って練習しておいてくれ。頼むぞ!”と。中村先生は私が動けるように、自分が勤めている病院で床ずれの手術も行ってくれました。みんな、やる気満々でしたね。ただ、ルールがなかなか来なくて、“今翻訳してるから、英語で来てもわからんだろ”と言われてたんですけど、結局ルールを知ったのは、大会1カ月前だったかな? そんな状態でパラリンピックを迎えたんです」

 健常者よりも速く走るパラアスリートが存在する今と比べると、その草創期はかなり呑気に映る。だがその陰で、中村医師は多くの“敵”と戦っていた。

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