物体浮遊、生きた霊体と面会、天理教… 文豪・芹沢光治良をオカルトにハマらせた“3つの出逢い”とは!?
■昭和を代表する心霊研究家との深い縁
さて、芹沢が一高時代に出会ったもう1人の人物が、心霊研究家・小田秀人(1896~1989)である。昭和の心霊研究をリードし、昭和という時代が終わるとともに他界したこの快人物については、機を改めて詳しく述べる必要があるだろうが、小田は一高における芹沢の先輩に当たり、芹沢の実兄・眞一とも昵懇であった。そこで芹沢も、小田のことをよく知っていたようだ。
小田は、芹沢がヨーロッパから帰国し、雑誌『改造』の懸賞小説に当選して作家デビューした直後に、心霊研究団体「菊花会」を設立している。そして芹沢も、その創設会員の1人であった。
菊花会が主催する交霊会では、直接談話や物質浮揚などの華々しい物理的心霊現象が毎回のように生起したが、小田によれば、芹沢もしばしば交霊会に出席したということである。だとすれば芹沢本人も、こうした各種の心霊現象をつぶさに目撃していたことになる。
国子との交際を通じ、神のような高次元の存在が人間に降りてくるという現象を目の当たりにしていた芹沢にとって、霊が霊媒に降りてくるという霊現象も、普通の人間より受け入れやすかったのではないかとも考えられる。実際『神の微笑』では、友人ジャックが死後存在について述べているが、これも芹沢の心霊現象への関心を示す記述であろう。
ただし、自分がこのような人物や現象に深く関わっていたことについて、従来の芹沢作品ではかなり抑えた記述がなされていた。小田についても、「小川健人」という名で『人間の運命』に登場しているが、後に菊花会に加入した経緯や、交霊会への参加などは書き残されていない。しかし、芹沢のそうした態度が「神シリーズ」から一変するのだ。
■“オカルトな自分”を解放するきっかけとなった出会い
「神シリーズ」の背景、執筆の経緯などについては、一連の作品内に詳しく記されているが、その直接の契機となったのが、井出国子に続いて「存命の中山みき」の依代(よりしろ)となった人物、伊藤青年こと大徳寺昭輝との出会いである。
大徳寺は1981年頃より神がかりを経験していたが、1985年に芹沢と初めて会った頃は、新宿の小さな居酒屋でアルバイトをして生計を立てていた。ある時、アルバイト先で皿を洗っていた大徳寺は、急に腹が張り裂けるように膨れて「セリザワコウジロウに会え、約束の時が来た」と命じられた。大徳寺はそれまで、芹沢の名など聞いたこともなく、どうやって会ったらよいのかもわからなかった。しかし、指示に従って宗教学者の小平教授に連絡をとり、1985年10月9日に芹沢と会うことができた。以後、芹沢は大徳寺を通じて「存命の中山みき」から叱咤や激励、そして様々な助言を受ける一方、現実世界においては大徳寺の保護者的な立場となったのだ。
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2024.10.02 20:00心霊物体浮遊、生きた霊体と面会、天理教… 文豪・芹沢光治良をオカルトにハマらせた“3つの出逢い”とは!?のページです。超能力、羽仁礼、ノーベル賞、作家、天理教、井出国子、大徳寺昭輝、小田秀人、芹沢光治良、大江健三郎などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで