三浦俊彦教授によるトランスジェンダーに関するオンライン記事について「東京大学関係教員有志声明」への応答

■「東京大学関係教員有志声明」への応答

                   三浦俊彦

 「本学三浦俊彦教授によるトランスジェンダーに関するオンライン記事についての東京大学関係教員有志声明」(以下、有志声明と呼称)にお答えします。

 (有志声明の対象となった私の『トカナ』掲載記事は、以下、「元記事」と呼称します)。

 率直に申し上げて、猛反省させられました。

 今後の、文章による発信の仕方について、大いに認識を改めました。

 発信者本人に差別する意図はなくとも、差別を行う者を活気づけたり、潜在的差別者をそそのかしたりすることがある、という可能性の認識が私に欠落していたと痛感します。

 悪しき効果について予測すべきでありながら無頓着であったというのは、自ら差別したのとほぼ同じことです。そのことに気づかなかったのは、まことに恥ずかしい限りであり、元記事によって不安や脅威を覚えた方々に対して、心より謝罪いたします。

 有志声明は、前文を「この記事の内容に抗議します」と締めくくっております。「記事の内容」の悪しき効果が懸念された主要な原因は、元記事の「文体」であったと私は考えております。私が最も反省した点も、不用意な文体についてでした。

 過剰に口語体を装ったスタイル(低品位をてらったスタイル)によって、読者に不快感を与えたこと、内容を自ら捻じ曲げたも同然であること、それによって元記事の提言の説得力が大幅に損なわれたことを、有志声明に反応した人々の声によって初めて知ることができました。元記事の文体をもっと端正にして、執筆意図が明瞭に伝わるように書くべきでした。

 なぜ私はあのような文体で書いたのでしょうか。あの種の文体は、問題の所在をはっきり伝えるのに適していると思ったからです。特定の主張や結論を伝えることよりも、議論の手掛かりとなる問題点を突き付け、読者に自由に考えてもらうことを優先すると、あのようなアクセントをつけやすい文体が私には便利だったのです。

 しかし、センシティブなテーマについてはそのやり方は控えるべきでした。その口調ゆえに読者の反発を呼び、不誠実な印象を与え、問題提起の意義そのものが疑われたとなると、悔やまれてなりません。

 さて、有志声明の批判対象となった元記事の内容について、その前提となる私の立場について簡単にまとめ、有志声明の内容との関係を整理したいと思います。 

 ジェンダー・フルイディティーの観察が示すとおり、性自認が不安定なものだというのは周知の事実です。そのような科学的にも解明されていない性自認という主観的現象を、社会の基盤に据えることは難しいと思われます。性別として安定しているのは身体の性別だけでしょう。

 ジェンダーは、身体的性別を基盤としてその上に創発する、高次の構成概念であると私は理解しており、身体とは独立にトップダウンで認定できるような単純属性ではないと考えています。

 また、かりに性自認が揺るぎないものだとしても、身体違和を伴わないジェンダー違和のケースについて性別変更を奨励するマスコミの風潮は、ジェンダーをむやみに実体化することにつながります。それは性役割の無意味な延命を可能にし、社会や個々人に(当事者も含め)混乱をもたらすだけだと私は考えます。

 身体違和のある人(性同一性障害の人)には、保険適用の性別適合手術および性別変更が望ましいでしょう。しかし、ジェンダー違和のみ抱える人(性同一性障害でないトランスジェンダー)に対する支援は、「性別変更」よりも良い方法があると私は考えるのです。 

 マイノリティ差別をなくさねばならないという目標においては、私は有志声明と全く同じ立場です。ただし、そのために有効だと信ずる手段がどうやら正反対なのです。すなわち、〈ジェンダー自認を文字通りに(できれば法的に)認定する〉という手段を推すのが有志声明の立場、〈ジェンダー自認をあくまで個性としてのみ尊重する〉という手段を推すのが私の立場です。現在の日本で一般に正しい手段として宣伝されるのは、前者です。

 手段に関する判断の相違は、目標に関する価値観の相違のように読み取られがちです。つまり元記事のような立場を公言すると、主張内容そのものが「中傷」「差別的」だと見なされやすいのです。

 目標が異なる(つまり元記事が差別的である)という誤解が生じたことには、私の誤った文体選択も大いに関わっていたのでしょう。元記事の内容に関しては、それなりの有益な問題提起を含むと自負しておりますが、文体と内容を切り離せるというのは虚構であり、文体が内容を汚染していたことは私も謙虚に認めざるを得ません。

 以下は、有志声明の流れに沿って、ポイントごとにコメントする形で応答していきます。長くなりますが、ご容赦ください。

東京大学憲章は、その前文において「構成員の多様性が本質的に重要な意味をもつことを認識し、すべての構成員が国籍、性別、年齢、言語、宗教、政治上その他の意見、出身、財産、門地その他の地位、婚姻上の地位、家庭における地位、障害、疾患、経歴等の事由によって差別されることのないことを保障し、広く大学の活動に参画する機会をもつことができるように努める」ことを謳っています。

 東京大学出身の、あるいは東京大学に在籍する/したことのある教員・研究者として、私たちは本学教員の名前を冠して掲載されたこの記事が本学の学生、大学院生に与え得る影響を深く憂慮し、この記事の内容に抗議します。[有志声明]

 「抗議します」とだけあって、この種の運動の通例のごとく「削除を求める」「謝罪を求める」などの文言がないことについて、感謝申し上げます。

 東京大学憲章は、「政治上その他の意見」についても多様性が望ましいことを謳っており、その精神に則って、有志声明は、元記事の抹消を求めることなく、東京大学に不穏な扇動らしきものがあることに抗議を表わすにとどめたということでしょう。

 ただし、私としては本応答文で、適宜、謝罪を表明するつもりです。また、元記事と周辺記事については、リライトや公開制限などの措置を検討中です。

 さて、続く4点にわたる、元記事の問題点のご指摘に入りましょう。

1’. (元記事の)主張は、よりインクルーシブな社会を目指したいと考える学生たちに性的同意の重要性を見失わせかねず、非常に危険です。同時にこの主張は、トランス女性の社会的承認がレズビアン女性の性的合意の自由と引き換えであるかのような偽の構図を提示してもいます。これは、マイノリティ女性(トランス女性)を別のマイノリティ女性(レズビアン女性)と対立させて前者の抑圧の責任を後者に帰す、女性嫌悪的で有害な主張です。[有志声明]

 性自認のとおりに法的性別を認める制度は、今の日本よりエクスクルーシブな社会を生んでしまう、というのが私の立場です(生得的女性とトランス女性の格差が必ず生ずるからです。性的機会、医療、公共設備利用……、スポーツはいっしょに競う世界的流れのようですが、それは女子スポーツの破滅をもたらすと私は危惧します)。

 性別適合手術の必要を感じずに生得的性器を持ち続ける人生を選ぶ人は、性別変更をすることで上記の二次的差別に直面するより、生来の性別のまま「性自認が特殊な(個性的な)人」として偏見なく受容される社会の実現を願った方がよくはないでしょうか。そのような社会の方が実現しやすく(現に倫理教育と制度整備のおかげで実現しつつある)、ジェンダーフリーの理念にも合致し、多様性も確保でき、よりインクルーシブな社会になるはずです。

 次に、〈トランス女性の社会的承認がレズビアン女性の性的合意の自由と引き換えであるかのような〉元記事の論述について。日本では現在、(実質的に)性別適合手術を経ずには性別変更ができません。よって、日本ではcotton ceilingの争いは(女性IDを持つ外国人が関わる場合を除いて)起きていませんし、cotton ceilingの理屈そのものが説得力を持たないでしょう。日本では、男性器を持つMtFは公式に男性なので、シスレズビアンが誘われたとしても「男はNG」と簡単に断ることができます。法的IDからして、MtFが女性パートナーを求める場合はヘテロ女性に求愛すればよく、双方の性的指向も合致して、うまくいくのです。

 男性器を持つMtFが女性IDを法的に持つ社会では、MtFレズビアンは、ヘテロ女性を選ぶわけにいかない、というジェンダー意識に縛られます。シスレズビアンも「男はNG」と簡単には断れない立場に立たされます(これについては後の項で詳述します)。元記事は、海外におけるそうした図式を紹介し、そのようなトラブルが日本で起こることのないよう、性別変更を容易化する法改正には反対すべきだと暗に説得した文章なのでした。

 そこが例の文体によって伝わりにくくなっていた点は、重ねて悔やまれるところです。

 ともあれ元記事は、女性同士を対立させるどころか、対立する事態を防ぐために書いたものでした。「性別変更に一定の身体的条件を課すような、現在の日本の法的あり方を維持する限り、混乱は起きない」と述べているにすぎません。

 トランス支援がなぜか「性別変更促進」と同義になっていくという現状を、一人でも多くの人に批判的に考察してほしい。元記事の意図はそれに尽きます。

2’. 「コットン・シーリング」は、もともと、ポルノ産業で働くトランス女性アクティヴィストによって、一定の型にはまらない女性身体が魅力的ではない(undesirable)ものとされた結果、特定の社会で一定以上の地位につけないことを批判する文脈で用いられたものです[ii]。これは実はトランス女性がシスジェンダーのレズビアンに性的にアクセスできないことを指しているのだとする(トランス排除派のラディカルフェミニストなどによる)見解[iii]や、この用語をより広くシスジェンダーのレズビアンがトランス女性との性的関係を拒否するにあたって、後者の女性性を否定することを指すとする(トランスアクティヴィストによる)理解[iv]など、議論が起きているのは確かです。けれども、「コットン・シーリング」という用語の生まれた経緯が、シスジェンダーのレズビアン女性の「下着を脱がす」というトランス女性の主張だったというのは、端的に事実誤認です。[有志声明]

 有志声明の注[ii](http://sjwiki.org/wiki/Cotton_ceiling)は、私が元記事の注[3]でリンクした記事(https://queerfeminism.com/2012/03/27/the-cotton-ceiling-is-real-and-its-time-for-all-queer-and-trans-people-to-fight-back/)より3年以上も後に書かれた修正記事です。「コットン・シーリング」の原義を学術的に検証するのに使えるソースではありません。

 そもそも、修正が不徹底のため記事本文の辻褄が合わなくなっています。cottonは、その本文が言うような「トランス女性の下着の中身(ペニスがあるかどうか)」という意味にはなりません。「ポルノ産業で働くトランス女性アクティヴィスト」Drew Deveaux当人の言葉がエピグラフに引かれていますが、それを読み合わせてください。

The cotton ceiling was meant as a means to question why certain bodies – trans or fat or disabled or racialized bodies for starters – are sometimes seen as undesirable, unfuckable, unlovable.[Cotton ceiling. (2015, August 31). SJWiki]

(注)Drew Deveauxがネット発言を中止する直前(2014年10月20日)に自己防衛的に発した言葉の一部。Deveauxはレイピストとして脅迫や殺人予告を受けるようになり、2014年末にネットでの発言を全部削除。以下で引用するDeveauxの発言を確かめるには、次のURLから御検証ください。

https://www.tumblr.com/dashboard/blog/drewdeveaux

https://www.yumpu.com/en/document/read/26530562/drew-deveaux-drewdeveaux-on-twitter

https://terfisaslur.com/cotton-ceiling/

 

 トランスと並べられた肥満者、障害者、異人種の「下着の中身」というのは意味をなさないでしょう。

 unfuckableという語も見てください。これを「特定の社会で一定以上の地位につけないこと」の一原因だと有志声明は解釈しています。その解釈はポルノ産業の社会に限れば成り立つようにみえますが、本文の言う「society in general」についてはどうでしょう。fuckと社会的地位を結び付ける解釈は、それこそ「社会的承認と性的同意との混同」に該当しかねません。

 いずれにしても、cotton ceilingの当初の意味を説明するためには、初出の用例にさかのぼるのが基本でしょう。その当たり前のことを、なぜ有志声明がやらなかったのか、謎です。

 Drew Deveauxの最初のcotton ceiling発言は、2012年1月21日、queer womenの社会に向けられた次の談話です。

I’m suggesting that trans women often encounter a “cotton ceiling”. The “cotton ceiling” works something like this: as trans women we have gradually been “allowed” to be enter queer women’s spaces and to varying degrees, our presence is made explicit and sometimes sought out; however, what has so often happens however is that we are exoticized and most often desexualized; queer cis women may be genuinely grateful for us being there; they may flirt with us and even make out; but so often there is resistance to actually considering us as people who they may wish to fuck, date, or be intimate with in one way or another. [Jan 2012 | No More Apologies Keynote Address | Toronto, ON, Canada]

 トランスの社会的・社交的な地位はかなり良くなったものの、私的な性的関係については不満があるとし、その原因を不可視の社会的差別へ転嫁していることがわかります。

 ネット発言を自ら封じた2014年に下っても、Drew Deveauxの意図する性的意味は変わっていません。

“it IS hate speech to be a lesbian who only sleeps w with cis able-bodied thin women.”(6月15日)

“Someone can say it’s about “preference”, but if someone’s into me UNTIL they “find out” I’m trans, then you can see cotton ceiling clearly.”(6月17日)

“The Cotton Ceiling is NOT about “men” getting into women’s pants, it’s about women born male…”(10月)

 以下の対応関係は明らかです。

 中間管理職→ガラスの天井→破る(外してもらう)→CEО

 仲良くする→木綿の天井→脱がす(脱いでもらう)→セックスする

 トランス女性が創始した用語cotton ceiling は、このように「シスレズビアンとのセックスの困難」を原義としています。「シスレズビアンの排他的性指向はトランスフォビアの文化的メッセージに影響されている」という理屈をトランス女性が展開してシスレズビアンをbigot視したことについては、以下をご覧ください。

https://factcheckme.wordpress.com/2012/03/13/the-cotton-ceiling-really/

 セックスからジェンダーを切り離しては「セックスもジェンダーと同じく社会的構築物である」とまた同化してみせるフェミニズムの戦略を、Drew Deveauxらは悪用したのです。

 以上のように、「cotton ceilingに性的な意味を持ち込んだのはTERFであって、トランス女性は社会的地位向上を意図しただけ」――という有志声明の理解は、歴史的事実に反しています。

 cotton ceilingの原義について三浦が「事実誤認」しているという有志声明の記述を、訂正していただくことを望みます。さもなくば、2012年1月以前の、性的意味でないcotton ceilingの用例をお示しいただけると幸いです。

3’. 上記の1’. から明らかなように、トランス女性に受験資格を認めることによってお茶の水女子大学が「滑りやすい坂」に踏み出したという主張には根拠がありません。のみならず、「ストッパーの用意は大丈夫でしょうね。坂道の見切り発車でなかったことを祈ります、ほんと。」という記述は、大学内部でまた他の女子大学との間で慎重な議論を重ねてきたお茶の水女子大学の構成員に対し、極めて不当であり侮蔑的だと考えます。[有志声明]

 これについては、お茶の水女子大学の関係者にお詫び申し上げます。とくに、茶化すような口調について、ひとえに謝罪いたします。私が「見切り発車」を危惧したのは、記者会見の質疑応答で「検討中です」という答えが多いように感じたからでした。ただ、それを学外からむやみに詮索するのは失礼な行為であると改めて認識しております。順調な教育運営を信じ、願っております。

4’. トランス女性、とりわけトランスのレズビアンを「不特定多数の女とやりたが」る「わかりやすい普通の男たち」とするのは、トランス女性に対する根拠のない中傷であり、何より、彼女たちをあくまでも男性としてしか扱わない(意図的なミスジェンダリングを行う)点で、極めて差別的です。また、明言こそされていないものの、この議論に従えば、トランスのゲイ男性がゲイコミュニティへの参入を求めない(これもまた事実に反しています)のは彼らが「普通の男」ではないからだ、ということにもなります。トランス女性は「実は」男性に過ぎない、トランス男性は「実は」女性に過ぎない、というこのような主張は、現在多くの国々で共有されているトランスジェンダーをめぐる学術的、法的な一般的理解とは異なるものです。本学教員から何の説明もなくそのような主張がなされることは、すでに本学で学んでいる、あるいは本学で学ぶことを考えているトランス学生の学習・研究生活を脅かしかねません。[有志声明]

 元記事は、性別変更に身体的条件を課す日本の法的現状を支持しています。「MtFビアンはわかりやすい普通の男たち」という言い方で締めくくったのは、性別IDに関するその現状支持の表れでした。つまり中傷を意図してなどいなかったのですが、たしかに誤解を招きやすい冷笑的な表現になっていたことは反省しております。

 MtFは誰もがみなトラブルを起こすかのような印象を誘導したことについても、反省せねばなりません。意識の上ではそうした極端な読み方をする読者はいないとしても、無意識の層に働きかけて偏見を増長させることがある――それがカテゴリに関する一般化表現の特徴です。「誤解されるはずないから、いいだろう」という態度は改める所存です。

 なお、「トランスのゲイ男性がゲイコミュニティへの参入を求めない」とは元記事は述べておりません。MtFビアンに比べておとなしいようだ、と述べただけです。

 さて、「共有されている」と「共有すべき」は同義ではありません。トランスジェンダーの本当の性別について「学術的、法的な一般的理解」があるとして、それは「定説」と言えるものなのでしょうか。言えるとしたら、いかなる根拠にもとづくのでしょうか。

 向学心あるトランス学生であれば、広範囲での情報収集を厭わないでしょう。法的性別変更を一様に賛美するマスコミ的キャンペーンには収まらない多様な選択肢に気づき、自己の幸福の可能性を探索するにあたっては、元記事はそれなりに有益な情報源になると私は信じます。

 もちろん、元記事のいたずらに煽るスタイルが、当事者に脅威を感じさせ、元記事を真面目な情報源として考えにくくしたことでしょう。それについては、今一度ここで、心から後悔と謝罪の念を表明します。

私たちは、本学教員の名前を冠して公開されたこのような記事が、トランスの若者たち、そしてまた若いレズビアンやバイセクシュアルの女性たちの学習環境や社会生活を損ない、また、学生をはじめとする若い人々がトランスジェンダーに関する基本的な理解を身につける妨げになりかねないことを、危惧します。[有志声明]

 「基本的な理解」には、LGBT支援に伴う「負の側面」の理解も含まねばなりません。元記事発表の時点でcotton ceilingを含む日本語サイトが皆無だったことから見ても、現在の日本の情報環境がいかに偏っているかがわかります。 

 「元記事のような情報発信は困る」という有志声明の姿勢は、若者を当面の不快感から防衛するだけではないでしょうか。不愉快なデータを避けていては学問も教育もできません。長期的に見て差別解消につながるとも思えません。

特定の属性や生のあり方の社会的な承認と、そのような属性を持ち、あるいは生を生きる個人との性的な関係に同意することとを同一視するような議論は、特定の属性や生のあり方を持つ人々の社会的承認を阻害するばかりでなく、よりインクルーシブな社会を目指したいと考える若者たちに性的な場面で否を言うことをためらわせる効果も持つと考えており、その二重の有害性についても深く憂慮します。[有志声明]

 社会的承認と、性的同意は区別すべし。これは元記事の前提でもあり、それに反するcotton ceiling理論を批判的に紹介したのもそのためです。同時に、その区別の難しさについて警鐘を鳴らしたのが元記事でした。にもかかわらず元記事が、社会的承認と性的同意を「同一視するような議論」と受け取られたとすれば、書き方を根本的に反省せねばなりません。

 ともあれ、社会的承認と性的同意とは、概念として明瞭に区別できるにしても、個々の事例において識別するのは容易でない、という厳しい現実があります。

 Drew Deveauxは、本人のブログの記述によると、女性としてのパス度が高く、シスレズビアンと自然にセックスしそうな流れになりながら、MtFと知られたとたんに突き放される、という経験を幾度かしています。「性的自由ではなく差別だ」と言いたくなるのもうなずけます。外国人と同衾したとき、自分は日本人だと話したとたん相手に逃げられたらどうでしょう。性的自由の表明というより、社会的偏見が(拒否者の)性的自由を汚染しているように見えるではありませんか。

 このように性的同意と社会的承認の分離はむずかしいのです。さらに厄介なことに、分離できたとしても解決しません。なぜなら、トランス女性が完全な女性なら、【性的自由を各人が発揮した結果として、シスレズビアンのパートナー選択がシスレズビアン同士とトランス女性相手とで不偏(確率計算通り)になる】はずで、偏りがある限り差別がある、という反差別闘争が予想されるからです。(個人の「自由」に任せた結果、議員の性比が偏ってしまう日本が、それゆえにジェンダーギャップ指数で低評価を受けるのと同じことです)。

 元記事に述べたように、cotton ceiling理論がシスレズビアンをPIVセックスに目覚めさせ、転向療法として作用している兆しがあります。この種の「反差別思想を使った転向療法」は性的自由の尊重と両立するのか。あるいは、ホモフォビアを助長するのか。あるいはそもそも「転向」という解釈それ自体がミスジェンダリングなのか。……等々、慎重な議論が必要でしょう。

 「混同するな」と教えるだけでは混同は防げません。cotton ceilingは、反差別運動から必然的に生ずる副作用です。元記事は偶発的な混乱を針小棒大に煽ったわけではありません。

東京大学出身の、あるいは東京大学に在籍する/したことのある教員・研究者として、私たちは、この記事における事実誤認を訂正し、社会的承認と性的同意との混同に異議を唱え、トランス女性/男性へのミスジェンダリングと中傷とに強く抗議します。[有志声明]

 少なくとも私的な場では、各人をその望む性別として扱うことはマナーであり、それに反することは失礼である、と私も十分わきまえております。

 ただそれはあくまで「扱い」です。「◎◎であることを望む」と「◎◎である」は理論的に異なる、という事実が、◎◎=性別 のときだけ否定されるべき合理的理由はありません。

 以上、有志声明に対する私の主要な応答は、以下の4点に要約されます。

①     元記事の文体が不適切であったこと。それに伴って内容も堕落したものと化したこと。

 非は全面的に私にある。大いに反省した。別の文体で書いておれば、内容の歪曲もなく、誤解も生じにくく、読者に不安や不快感を与えることも少なかった。これについては深く悔やみ、恥じるとともにお詫びする。本件で得た教訓は今後生かし続ける所存である。私に自覚を促してくださった有志声明の方々に、心よりお礼を申し上げたい。

② 元記事の “cotton ceiling” の説明が「事実誤認」という判定は訂正されるべきこと。

 有志声明は論拠とするソースを誤っており、議論として成立していない。“cotton ceiling” の原義についても誤認している。“cotton ceiling” の原義は、「レズビアン社会で、シス同士と同等の性的関係をトランスが享受できない限り、差別がある」という処理困難な苦情である。 

③ 性的自由と社会的承認とは、単純に分離できないこと。

 反差別思想の性的悪用から個々人が自己防衛できるためには、現在の日本の性別変更に関する法体制の維持が最低限必要である。そして、“cotton ceiling”の論理構造をめぐる辛抱強い議論も望まれる。

④ 「LGBT先進国で法的な合意がある」という記述言明が、「日本で同様の法制度に向かうべきだ」という規範言明の理由にはならないこと。

 もはや欧米の後追いをしている時代ではない。いまだ銃犯罪や差別に揺れる国々のうわべの倫理を模倣するよりも、日本が独自に一歩先を歩み、彼らに対し模範を示すべき時である。

 

                      以上

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文=三浦俊彦

1959年生まれ。東京大学総合文化研究科博士課程単位取得退学。現在、東京大学文学部教授。専門は、美学・分析哲学。和洋女子大学名誉教授。著書に『バートランド・ラッセル 反核の論理学者:私は如何にして水爆を愛するのをやめたか』 (学芸みらい社、2019年)、『エンドレスエイトの驚愕: ハルヒ@人間原理を考える』(春秋社、2018年)、『改訂版 可能世界の哲学――「存在」と「自己」を考える』(二見文庫、2017年)など。
Twitter:@tmiura_bot

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