「ナンバー1予言者」松原照子が超不思議な生い立ちを全暴露! 裕福な家庭と謎の出生、天照大神、監視者…
■皇室と松原氏の隠された関係
松原 不思議だったのが、両親は私を引き取ると、大工さんを呼んで私のために天照様の祭壇を作らせたんです。祭壇の前に畳を積み上げてベッド替わりにして、そこに赤子の私を寝かせていたんです。それで、両親が祭壇の私に向かって手を合わせていたというのです。父が天照様の照をとり、照子と名付けてくれました。
ムーの三上編集長にこの話をしたら、「皇室がらみの可能性がある」とおっしゃっていました。
――天照大神は、皇室の祖神とされていますからね。もしかすると、松原さんは皇室の血を引いていらっしゃるとか!?
松原 それはどうかわかりませんが、実家は須磨離宮公園のすぐそばで、皇室ゆかりの土地にありました。
そういえば、進駐軍のアメリカ人が、父をたずねてよく家に来ていたのを覚えています。日本の地位が高そうな人たちも黒塗りの車に乗ってよく家に来ていました。
家ではいろんな人たちが集って、しょっちゅう賑やかにパーティーをしていました。クリスマスになると、天井に届くぐらいの大きなクリスマスツリーを飾って、たくさんの方たちを呼んで盛大なパーティーをするんですよ。そのパーティーには、外国人の方もいました。
■世間から隔絶されたお姫様
――照子さんのご両親と特権階級との繋がりを感じますよね。それに、幼少期の頃、かなり良い暮らしをされてみたいですね。
松原 私は幼いころ、普段から日本髪を結って着物を着ていたのです。服もレースの服を着て、靴は革靴しか履いたことがなかった。当時、そんな恰好をしている人は、私以外、誰もいませんでした。私の子供の頃の写真を見ると、着物を着て、日本髪を結っているものばかりなのです。私は松原家のお姫様のような存在だったんです。
――明らかに別格ですよね。けれど、他の子供たちと違う恰好をしていることに違和感を覚えなかったのですか?
松原 違和感など覚えたこともありませんでした。友達もいなかったし、一緒に遊んだこともなかったんです。私はただ、「ごきげんよう」と言っていれば、それでいいと思っていたから。それに、学校の送り迎えは母が必ず付き添っていましたし、母がいない時は誰かほかの大人が付き添っていました。
私は、当時にしては珍しいおもちゃがいっぱいある床の間がある日本間で、いつも1人で遊んでいました。それで、ガラス障子戸のガラス越しに母親とか誰かがいつも私を見ているんです。
――いつも誰かが松原さんを監視しているんですか?
松原 監視じゃないんですが、私が部屋にいると安心するみたいなんです。なので、私が友達と遊ぶようになったのは、小学校6年の頃になります。その時、私も幼くて理由はわかりませんが父親の会社が倒産したのです。それまで住んでいた屋敷を手放して、私は両親と長屋に住むことになりました。
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2024.10.02 20:00心霊「ナンバー1予言者」松原照子が超不思議な生い立ちを全暴露! 裕福な家庭と謎の出生、天照大神、監視者…のページです。白神じゅりこ、松原照子、世見、生い立ちなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで