日本と中国におけるハンセン病の歴史から学んだこととは?
第二次世界大戦中にアメリカでプロミンというハンセン病の特効薬が発明されましたが、もちろん日本で流通するようになったのは戦後のことです。戦後は日本国憲法により基本的人権が保証されたものの、ハンセン病患者・回復者の処遇はあまり変わらず、当事者の方々による長年の活動が実を結び、ようやく「らい予防法」が撤廃されたのは1996年になってからのことです。
――ひどい話ですね。このような実態が長年放置されてきたことに憤りを覚えます。
活動家 それだけではありません。ハンセン病は遺伝する、という迷信が広まっていたせいで、ハンセン病患者は男女共に断種が強要されました。不妊手術をさせられ、それでも妊娠したら人工中絶を強要され、産まれた赤ちゃんは殺されたのです。中絶の件数は3000件以上に上るとみられ、療養所で強制的に堕胎させられたとみられるホルマリン漬けの赤ちゃんの標本まで残されており、厚生労働省の調査で114体(半数の57体が母親の記録なし)が確認されているのです。
――日本が自国民に対してこれほど残忍な行為をしていたとは……。ハンセン病に対する誤解は、どうして広まり、なぜ多くの人が信じてしまったのでしょうか?
活動家 複数の理由があると思います。一つには仏教的な(因果応報の)文脈でハンセン病が(前世で仏に背いた結果であり)「穢れているもの」とみなされてしまったこと。そしてもう一つは、都合の悪いものや異質なものに蓋をしようという日本人の気質ではないでしょうか。偏見が親から子へと受け継がれてしまった面もあります。それから、国家を挙げての隔離キャンペーンが行われ、集団心理が働いたというのもあるでしょう。
■中国ハンセン病患者の実態
――まるで20世紀の魔女狩りと言える話ですね。あなたは中国でも精力的に活動されているようですが、ハンセン病患者たちの処遇はいかがですか?
活動家 中国では文化大革命が終わるまで隔離が続き、1980年代には撤廃されました。しかし、現在も600ものハンセン患者だけが暮らす村と、約2万人の患者がいると考えられています。ハンセン病患者だけが暮らす村といっても、一つの村にわずか6~20人しか住んでいない場合もあります。元患者たちが老年になり、隔離するための法律が廃止されても、もらえる年金が少なく自立して生活できないためです。中国では社会保証は投資だと考えられ、最優先は健康的な子ども、大人、老人……と優先順位が下がり、元ハンセン病患者は最下層となっているようです。
しかし、日本と異なり共産党による一党独裁体制下では、社会運動やデモは自由に行えないため、NGOやボランティアによる草の根レベルの活動が大事になってきます。たとえば、NGO団体である「家 -JIA-」(Joy in Action)の代表・原田燎太郎氏が創設したハンセン病回復村でのワークキャンプという取り組みなどは好例です。最初は日本人のみで活動していましたが、今は中国国内を中心に2万人ものボランティアが参加する大きな活動となっています。
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2024.10.02 20:00心霊日本と中国におけるハンセン病の歴史から学んだこととは?のページです。中国、魔女狩り、NGO、差別、強制収容所、遺伝、ボランティア、ハンセン病、深月などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで