日本と中国におけるハンセン病の歴史から学んだこととは?

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イメージ画像:「Getty Images」

 今年7月9日、安倍首相は国が長年にわたり続けてきたハンセン病患者の隔離政策によって家族も差別を受けたとして家族らが国に損害賠償を求めた訴訟について、国の責任を認めて約3億7千万円の賠償を命じた熊本地裁判決を受け入れるとともに、控訴しないと表明。ハンセン病患者とその周囲の人々の苦しみが今なお続いていることが改めて認識される出来事だったといえる。

 ハンセン病患者を隔離する「らい予防法」が廃止されたのは1996年のこと。2001年には国家賠償請求提訴で患者・元患者らが勝訴し、国が初めて「らい予防法」を違憲と認めるとともに謝罪しているが、この“負の歴史”が残した爪痕はあまりにも深い。

 筆者はこのたび、ハンセン病患者・回復者(元患者)への差別の実態について、支援活動を続ける某活動家にインタビューを試みた。この活動家は、日本国内のみならず中国のハンセン病隔離村やミャンマー、ブラジル、インドなど世界各国のハンセン病患者・回復者たちと手を携えながら理解促進のために活動してきた。

■日本のハンセン病の歴史

――よろしくお願いいたします。過去、日本におけるハンセン病患者の境遇とはどのようなものでしたか? 改めて教えてください。

活動家  日本でハンセン病患者を隔離する法律「らい予防に関する件」が初めて制定されたのは日露戦争の後、1907年のことです。ハンセン病患者の浮浪者たちを隔離しよう、という名目で隔離施設が作られました。そして、1931年に制定された「らい予防法」により、「民族浄化」「無らい日本」をスローガンに全ての患者を根こそぎ療養所という名目の隔離施設に収容し、新たな患者を認めない「終生隔離」「患者撲滅政策」が展開されました。

「ハンセン病は伝染する」という迷信もあり、ハンセン病患者がいる家庭は“恥”と見なされ、患者たちは小さな子どもでも「死んだ」ものとして家族から引き離され、強制隔離されたのです。療養所では通常の日本の通貨ではなく、専用の通貨「園内通用券」が使用されました。外界との隔離を徹底し、ハンセン病患者が逃げ出さないようにしたのです。

 また、療養所長には懲戒検束権(反抗的な患者を罰するため30日以内の監禁を認めたり、食事を最長7日間、半分まで減らす権利)が与えられ、隔離施設独自の特別法廷までありました。特別病室という懲罰施設もあり、冬はマイナス16~17度で電灯も暖房もなく、食事は少量の麦飯に梅干し1個かたくあん3切、布団上下1組、という劣悪な環境で、医師による医療行為も行われなかったため、たくさんの患者が亡くなりました。こんな療養所の中で少しでも娯楽を求めて、患者たちが自ら作った映画館や野球場もありました。

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