写真家・石田昌隆の『1989 If You Love Somebody Set Them Free ベルリンの壁が崩壊してジプシーの歌が聴こえてきた』(オークラ出版)が好評だ。「ベルリンの壁崩壊」から30年に及ぶ、激変する世界と音楽の旅は、新たな時代の分岐点となるコロナ禍だからこそ、ますます鮮明に浮かび上がってくる。
各地でミュージシャンや映画監督のポートレイトを撮影しながら、世界数十ヶ国を旅してきた石田は、ベルリンの壁崩壊後、東欧圏から頭角を現した新ジャンルとしての「ジプシー音楽」を発見する。ヨーロッパの古き伝統を守りながらも、新しい時代の到来を柔軟に受け入れ、世界の音楽シーンへと躍進したのは、ルーマニアのクレジャニ村出身のタラフ・ドゥ・ハイドゥークス、ウクライナ生まれでNYに渡って無国籍なジプシー・パンクを展開したゴーゴル・ボーデロらであったという。
前編に引き続き、カウンターカルチャーを追う男、ケロッピー前田が、石田昌隆に迫った。
<前編はこちら!>
――89年のベルリンの壁崩壊を経て、世界の音楽はどのように変わっていったのでしょうか?
石田昌隆氏(以下、石田)「大きな激変の年となったのは、91年。ベルリンの壁崩壊、米ソ冷戦終結、東西ヨーロッパ統一と、これで世界が平和になるのかと思ったら、湾岸戦争が起こりました。CNNが実況中継した空爆の様子は、まるでテレビゲームみたいでした。この年は、ニルヴァーナの『ネヴァーマインド』、U2の『アクトン・ベイビー』、プライマル・スクリームの『スクリーマデリカ』、マッシヴ・アタックの『ブルー・ラインズ』などの名作が続々とリリースされ、冷戦時代が終わって、いろんなものが動き始めた時期でしたね」
――90年代のベルリンといえば、テクノやラブパレードという話がありました。
石田「そうですね。ベルリンの壁崩壊後、東欧では、テクノとジプシー音楽という2つのジャンルの躍進が大きな出来事だったんです」
――ジブシー音楽とはどんなものでしょうか?
石田「ジプシーのギター音楽は昔からあって、スペインのフラメンコ、ジャズ・ギタリストのジャンゴ・ラインハルトなどが知られています。東欧のジプシー音楽が注目されるのは、93年のトニー・ガトリフ監督の『ラッチョ・ドローム』、95年のエミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』などの影響でしょう。たとえば、ルーマニアのクレジャニ村出身のタラフ・ドゥ・ハイドゥークスは、バイオリンやウッドベースを使っています。セルビア(旧ユーゴスラビア)やマケドニアには、ブラスバンド系ジプシー音楽があります」
――日本でも大流行した〈ランバダ〉という曲が壁崩壊後のヨーロッパで大ヒットしていたといいます。
石田「そうですね。〈ランバダ〉はちょうどそのタイミングで世界的な大ヒット曲になって、日本でもちょっとエッチなワールドミュージックみたいに注目されたのですが、ルーマニアでは革命が成功したテーマソングみたいに人々の歓喜の曲になっていました。改めて、僕がルーマニアのジプシー音楽の素晴らしさを本当の意味で理解したのは、2000年にタラフ・ドゥ・ハイドゥークスが来日して、彼らを撮影したからなんです。